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【名作シューズ列伝】バークレーからピッペンへ――。万能戦士がついにブランドの顔となった「NIKE AIR MORE UPTEMPO」

西塚克之

2020.07.08

ピッペン(左)とバークレー(右から2番目)はバルセロナ五輪に続き、2大会連続で代表入り。バークレーは12.4点、ピッペンは平均11.0点をあげ、金メダル獲得に貢献した。(C)REUTERS/AFLO

 人に歴史あり。バスケにスーパースターあり。スーパースターにシグネチャーモデルあり。シグネチャーモデルにBOXあり! 

 前回までは、1992年に一世を風靡したドリームチーマーのモデルを取り上げてきましたが、今回から96年のアトランタ五輪に出場した選手たちのモデルを紹介します。

 3代目ドリームチーム(94年の世界選手権に出場したのが2代目ドリームチーム)の第1弾、本編17箱目は、96年にリリースされたスコッティ・ピッペンとチャールズ・バークレーが着用した「NIKE AIR MORE UPTEMPO」のお話です。

 ピッペンはシカゴ・ブルズでマイケル・ジョーダンの相棒を務めた歴代屈指のオールラウンダー。96年当時は30歳とキャリアのピークにあり、前回のバルセロナに続き、2大会連続でアメリカ代表に選出されています。

 ジョーダンと同じ84年にデビューしたバークレーは、プロ2年目から11年連続で平均20点、10リバウンド以上をマークしたパワーフォワード。30歳を超えてからは(五輪時は32歳)ケガによる欠場が増えたものの、依然としてリーグ屈指の実力を誇り、こちらも順当にメンバー入りを果たしました。

 アメリカにとって"地元開催"となった大会でバークレーはチームトップの平均12.4点、6.6リバウンド、ピッペンはチーム4位の平均11.0点、3.3アシストと躍動。アメリカは8戦全勝、平均31.8点差をつけ、2大会連続で金メダルを獲得しました。
 
 チームには彼らのほかにも若手のシャキール・オニールやアンファニー・ハーダウェイ、バルセロナ五輪にも出場したカール・マローンやジョン・ストックトンもいましたが、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、ジョーダンというカリスマ性のあるスーパースターがいた前回と比べると、チーム自体の人気は今ひとつでした。

 それでも、オリンピックモデルは初代ドリームチームと同等のインパクトをスニーカー市場に与えています。その筆頭が「NIKE AIR MORE UPTEMPO」です。

 ミッドソールに君臨する「Maximum Volume Air Sole Unit」は大幅にAirを増量。"フライト系"のピッペンと"フォース系"のバークレーが着用することで、"アップテンポ系"という新たなカテゴリーが誕生しました。