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NBA

ダンカン、ガーネットが背負った「背番号21」。70年代はスコアラー、近年はビッグマンの好選手が着用【NBA背番号外伝】

出野哲也

2020.07.15

バスケを教わった義兄の背番号「21」を継承し、スパーズに5度のタイトルをもたらしたダンカン。(C)Getty Images

バスケを教わった義兄の背番号「21」を継承し、スパーズに5度のタイトルをもたらしたダンカン。(C)Getty Images

 背番号21の歴史を紐解くと、1960~80年代はスコアラー、90年代~現代は守備型の選手が多いという傾向がわかる。現在、欠番選手はビル・シャーマンやドミニク・ウィルキンス、ティム・ダンカンら5人だが、ケビン・ガーネットがその仲間入りを果たすのは、ほぼ確実だろう。

■バスケットボールを教わった義兄の21を継承するダンカン

 自分の背番号が永久欠番になるというのは、どんな選手にとっても栄誉であるはず。だがケビン・ガーネットは、ミネソタ・ティンバーウルブズ時代の背番号21を欠番とする考えには賛成していない。同球団史上最高の選手であるにもかかわらず、オーナーのグレン・テイラーに強い不信感を抱いているため、その気にならないのだそうだ。

 ガーネットはボストン・セルティックスに移籍した際は背番号5に変更したが、これは同球団の21番が欠番だったからである。1950年代のスター選手だったビル・シャーマンは、フリースロー成功率で7回リーグ1位に輝き、ビル・ラッセルらとともに主力としてセルティックスの4度の優勝に貢献。引退後はロサンゼルス・レイカーズのHCとして72年に優勝を飾って、選手と監督の両方で殿堂入り、21番で最初に欠番に指定された選手となった。シャーマンはMLBのブルックリン(現ロサンゼルス)・ドジャースにも在籍し、公式戦の出場がなかったにもかかわらず退場処分を受けた唯一の選手として、野球界にもその名を残している。
 
 背番号21で欠番となった選手はシャーマン以外に4人いる。デイブ・ビングはデトロイト・ピストンズ時代にシューターとして名を馳せ、68年にリーグ最多の2142点。平均得点ではオスカー・ロバートソンに次ぐリーグ2位だったが、当時は総得点で得点王を決めていたためビングがタイトルを獲得した。引退後は製鉄会社を創業して成功を収め、2009年からはデトロイト市長を務めるなど、多方面で活躍した。

 80年代にはアトランタ・ホークスのドミニク・ウィルキンスが、“ヒューマン・ハイライト・フィルム”と呼ばれた豪快なダンクで人気を博した。現在でも通算得点(2万3292点)をはじめ、多くの部門でホークスの球団記録を保持。退団後もセルティックス時代を除いて21番を背負い続け、ツイッターのアカウントも「DWilkins21」という徹底ぶりだ。ジョージア大時代もこの番号で、同校史上唯一の欠番となっている。ニューヨーク・ニックスやクリーブランド・キャバリアーズで13年間活躍した弟のジェラルドも、オーランド・マジック時代を除いて21番をつけ、さらにジェラルドの息子ダミアンもシアトル・スーパーソニックス/オクラホマシティ・サンダーで21番と、ウィルキンス一族とこの番号のつながりは強い。
 

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