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NBA

ダンカン、ガーネットが背負った「背番号21」。70年代はスコアラー、近年はビッグマンの好選手が着用【NBA背番号外伝】

出野哲也

2020.07.15

 4人目の欠番はサクラメント・キングスのセンターとして鳴らしたブラデ・ディバッツだ。レイカーズとシャーロット・ホーネッツ在籍時は12番をつけていたが、キングスではモーリス・ストークスの欠番だったため、逆にして21番となった。

 そして5番目、最新の欠番となったのがサンアントニオ・スパーズに5度のタイトルをもたらしたティム・ダンカン。バスケットボールを教えてもらった義兄が大学で21番をつけていたのが、この番号を選んだ理由だという。なお彼の入団前年にスパーズで21番を着用していたのがドミニク・ウィルキンスだった。

 現役の21番も、ガーネットやダンカンのようにビッグマンの好選手が多い。ジョエル・エンビード(フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)とハッサン・ホワイトサイド(ポートランド・トレイルブレイザーズ)がその代表で、エンビードは「俺のロールモデル」と尊敬するダンカンの番号を選んだ。

 現在はマイアミ・ヒートで22番のジミー・バトラーは、シカゴ・ブルズでプロ入りした際に21番。元ブルズのスコッティ・ピッペンに憧れてマーケット大では33番だったが、ブルズでは当然欠番だったため21番に変更した。

 バトラーと同じ守備型ガードとして一世を風靡したのはマイケル・クーパー。80年代に黄金時代を築いたレイカーズの守備の要として、5度オール・ディフェンシブ1stチームに選出され、87年には最優秀守備選手賞を獲得している。現役ではロサンゼルス・クリッパーズのパトリック・ビバリーが守備の名手だ。
 
 70年代の背番号21はスコアラータイプが多く、アーチー・クラーク、シドニー・ウィックス、ワールド・B・フリーらがその代表格として挙げられる。80年代では、史上4人しかいないクァドラプル・ダブル達成者のアルビン・ロバートソン、クォーター29点&ハーフ39点のプレーオフ記録を持つスリーピー・フロイドが印象深い。

 90年代後半にニックスでPGを務めたチャーリー・ウォードは、フロリダ州立大時代にフットボール選手として、ハイズマン賞を獲得するほどのスーパースターだったが、トレーナーからアメフトより選手寿命が長いとアドバイスを受けてバスケに転向。しかし11年のキャリアで平均6.3点、4.0アシストと目立った数字は残せなかった。

 前述のシャーマン以外にも、指導者として成功を収めたケースは存在する。ワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)、シクサーズなどで22年間コーチを務め、2度ファイナルに導いたジーン・シュー。オールスターに6度選出され、引退後はHCとして71年にミルウォーキー・バックスでリーグを制したラリー・コステロ、そしてABA時代のインディアナ・ペイサーズを率いて3度の優勝を果たした“スリック”ことボブ・レナード。通算1042勝しながら優勝と無縁だったリック・アデルマンも21番でプレーしていた。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2014年2月号原稿に加筆、修正。

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