NBAで背番号30の欠番選手は誰かという質問に、すぐに答えられるファンは少ないだろう。なぜならこの番号を背負って目覚ましい活躍を見せたスーパースターは、過去にはいないに等しかったからだ。
30番で最初の欠番はインディアナ・ペイサーズのジョージ・マッギニス。ABA時代の1975年に平均29.8点をあげて得点王になったフォワードは、NBA編入後はフィラデルフィア・セブンティシクサーズでプレーし、最後はペイサーズに戻って85年に欠番となった。両リーグを合わせて6回オールスターに選ばれ、キャリア平均20.2点、11.0リバウンドと申し分ない成績を残したものの、殿堂入りしたのはようやく2017年になってからである。
過去の30番で一番のビッグネームはバーナード・キングだろう。80年代を代表するスコアラーは、ユタ・ジャズからゴールデンステイト・ウォリアーズに移籍した81-82シーズン以降、引退するまでこの番号を着用。ニューヨーク・ニックスに在籍していた84年のクリスマスゲームで60得点を叩き出すなど、同シーズンには平均32.9点を稼ぎ得点王に輝いている。のちのニックスのエース、カーメロ・アンソニーが子どもの頃に憧れていた選手でもあり、ニックス移籍時には30番を選ぶのではとの噂もあった。
史上最高の30番は、現役のステフィン・カリーで決まりだ。2015、16年に2年連続MVP、特に15-16シーズンは空前絶後の3ポイント成功402本。そのシュート力は史上最高と評され、NBAの歴史においても最重要選手の1人と見なされている。2010年代後半に3度の優勝を成し遂げたウォリアーズは、彼以外にもクレイ・トンプソンやドレイモンド・グリーン、ケビン・デュラントらがいたスーパースター軍団だったが、カリーこそがチームの中心だった。
カリーが背番号30なのは、父のデルがこの番号を着用していたから。息子同様、現役時代に3ポイントシューターとして鳴らしたデルは、98-99シーズンに成功率47.6%でリーグ1位を記録。キャリアを通じて5球団に在籍し、引退まで30番で通した。ステフィンの弟セス(ダラス・マーベリックス)も父や兄に引けを取らないシュート力の持ち主で、通算3ポイント成功率44.3%は兄の43.5%を上回っている(7月30日時点)。
30番で最初の欠番はインディアナ・ペイサーズのジョージ・マッギニス。ABA時代の1975年に平均29.8点をあげて得点王になったフォワードは、NBA編入後はフィラデルフィア・セブンティシクサーズでプレーし、最後はペイサーズに戻って85年に欠番となった。両リーグを合わせて6回オールスターに選ばれ、キャリア平均20.2点、11.0リバウンドと申し分ない成績を残したものの、殿堂入りしたのはようやく2017年になってからである。
過去の30番で一番のビッグネームはバーナード・キングだろう。80年代を代表するスコアラーは、ユタ・ジャズからゴールデンステイト・ウォリアーズに移籍した81-82シーズン以降、引退するまでこの番号を着用。ニューヨーク・ニックスに在籍していた84年のクリスマスゲームで60得点を叩き出すなど、同シーズンには平均32.9点を稼ぎ得点王に輝いている。のちのニックスのエース、カーメロ・アンソニーが子どもの頃に憧れていた選手でもあり、ニックス移籍時には30番を選ぶのではとの噂もあった。
史上最高の30番は、現役のステフィン・カリーで決まりだ。2015、16年に2年連続MVP、特に15-16シーズンは空前絶後の3ポイント成功402本。そのシュート力は史上最高と評され、NBAの歴史においても最重要選手の1人と見なされている。2010年代後半に3度の優勝を成し遂げたウォリアーズは、彼以外にもクレイ・トンプソンやドレイモンド・グリーン、ケビン・デュラントらがいたスーパースター軍団だったが、カリーこそがチームの中心だった。
カリーが背番号30なのは、父のデルがこの番号を着用していたから。息子同様、現役時代に3ポイントシューターとして鳴らしたデルは、98-99シーズンに成功率47.6%でリーグ1位を記録。キャリアを通じて5球団に在籍し、引退まで30番で通した。ステフィンの弟セス(ダラス・マーベリックス)も父や兄に引けを取らないシュート力の持ち主で、通算3ポイント成功率44.3%は兄の43.5%を上回っている(7月30日時点)。