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【名作シューズ列伝】大型司令塔ペニーの「NIKE AIR ZOOM FLIGHT 96」。大御所を差し置いてブランドの新たな顔に!

西塚克之

2020.08.05

五輪では控えだったペニーだが、華麗なダンクやパスをはじめ随所に見せ場を作り、アメリカの金メダル獲得に貢献した。(C)Getty Images

 人に歴史あり。バスケにスーパースターあり。スーパースターにシグネチャーモデルあり。シグネチャーモデルにBOXあり! 

 ドリームチームIIIのシグネチャーモデル第5弾、本編21箱目は、アンファニー・ハーダウェイが着用したオリンピックモデル「NIKE AIR ZOOM FLIGHT 96」のお話です。

 ハーダウェイは1971年7月18日、テネシー州メンフィスで誕生。幼児期に両親が家を出てしまったため、叔母に育てられました。彼女はハーダウェイのことを「pretty」の訛りである「puitty」と呼んでいましたが、周囲の人には「penny(アメリカの硬貨1セントの意味)」と聞こえ、それが自身のニックネーム(ペニー)となりました。

 メンフィス大1年時には、学業不振でバスケができず、さらに強盗に遭い、足を撃たれるアクシデントに見舞われるなど、踏んだり蹴ったりの時期を過ごしました。しかし、2年生になると学業成績も向上しバスケを再開。

 オフシーズンには学生オールスターとしてグラント・ヒルらとともに"初代ドリームチーム"の練習相手に選ばれ、練習試合でスター軍団を撃破。201cmでポイントガードを務めるペニーを見たマジック・ジョンソンは「まるで、鏡を見ているようだ」と高く評価していました。
 
 1993年NBAドラフトでは、1巡目3位でゴールデンステイト・ウォリアーズに指名。直後にオーランド・マジックに1位指名されたウェバーとトレードされ、シャキール・オニール(シャック)とのデュオを結成します。

 1994-95シーズンには、オールNBA1stチームに選出。シャックとの強力コンビで創設間もないマジックをNBAファイナルに導き、デビューからわずか2年でリーグのトップアイコンとなったのです。

 さらに翌シーズンは、開幕からケガで離脱したシャックに代わりリーダー役を務め、チームはフランチャイズ最多の60勝をマーク。プレーオフではシカゴ・ブルズに敗れはしたものの、2年連続でオールNBA1stチームに選出されました。

 自身の成長とともに人気も拡大し、アトランタオリンピックのアメリカ代表に選出されたのは自然な流れだったと思います。

 その人気ぶりはNIKEがペニーに用意したシューズからも理解できます。彼が五輪で着用したのは95年発売の「AIR MAX PENNY」ではなく、「AIR ZOOM FLIGHT 96」だったからです。