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NBA

“永遠の悪ガキ”チャールズ・バークレー。84年五輪メンバー落選を巡る裏話【NBAレジェンド列伝・前編】

出野哲也

2020.08.06

バークレーはパワーフォワードとしては小柄ながら、屈強な肉体と運動量を武器にリーグを席巻した。(C)Getty Images

バークレーはパワーフォワードとしては小柄ながら、屈強な肉体と運動量を武器にリーグを席巻した。(C)Getty Images

 身長190cm台であれば、NBAではガードのポジションを任せられるのが一般的だ。しかし、チャールズ・バークレーは2mに満たない身体でパワーフォワードを務めあげ、「神からもらった才能」と自負するリバウンドで、時代を代表する選手となった。キャリアを通じて数々の賞を手にしたバークレーだったが、頂点に立ったことは1度もなかった。だが、彼が唯一無二の特別な存在であることに疑いを持つ人はいないだろう。

■学生時代から高い志を持ち、毎日練習に明け暮れる

 1992年のバルセロナ五輪で初代ドリームチームが結成されてから、30年近くが経つ。プロ選手の出場が解禁になったこの大会で、初めてNBAに触れた人も多かったはずだ。バスケットボール界最高峰の選手たちの強さと華麗さは世界中に鮮烈な衝撃を与えたが、なかでもチャールズ・バークレーの印象は一際強烈だった。

 迫力満点のプレーに加え、海坊主のようなルックス、尊大でありつつも愛嬌のある態度やコメントが、彼がマイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソンらとは異なるタイプのスーパースターであることを証明していた。
 
 バークレーは、NBAのパワーフォワードとしては極めて背が低かった。公称198cmだったが実際は195cm。現代で言えばジェームス・ハーデン(ヒューストン・ロケッツ)やデビン・ブッカー(フェニックス・サンズ)と同じくらいだった。これでもまだ伸びたほうで、高校2年までは178cmしかなく、チーム入りできなかったほどである。「将来はプロの選手になる」と主張しても、級友たちは相手にしなかった。

「誰も俺にボールを回してくれなかった。シュートを打ちたけりゃ自分でボールを取るしかないから、必死にリバウンドの練習をしたんだ」

 小さいだけでなく太ってもいた。オーバーン大時代は体重128kg。漫画のような体型は嘲笑の的になった。ニックネームはピサならぬ“ピザの斜塔”。試合前に相手校の学生がピザの配達員に扮装し、バークレーのもとへ注文を取りに来たりもした。
 

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