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真の人道主義者マヌート・ボル。バークレーが「英雄」と賞賛する男の生き様【NBAレジェンド列伝・後編】

出野哲也

2020.08.12

ブロック以外に目立った武器のなかったボルだが、4年目に20本の3ポイントを成功。93年の試合では6本の長距離砲を沈め、周囲を驚かせた。(C)Getty Images

シクサーズ時代には5秒間で4ブロックの偉業を達成

 ブロック以外に目立った武器がなく、頭打ち状態となっていたボルだが、ゴールデンステイト・ウォリアーズに移籍した88−89シーズンは、2度目のブロック王に輝いただけでなく、過去3年間で一度も成功しなかった3ポイントを20本も決めてみせた。まったくスピンがかからない独特のシュート軌道は、野球のナックルボールになぞらえられた。この年に記録した3.9点が、ボルにとってのキャリアハイだった。

 90年から93年まではシクサーズに在籍。NBAの好プレー集でおなじみの"5秒間で4ブロック"をお見舞いしたのもシクサーズ時代だった。選手に対して厳しいフィラデルフィアのファンも、たとえ不器用でも懸命にプレーするボルに対しては寛容だった。

 シクサーズの看板選手チャールズ・バークレーとも仲が良かった。バークレーは暇さえあればボルをからかっていた。

「まあそれはお互い様だけどな。マヌートだって、いつでも俺やリック・マホーンをネタにしたジョークを言っていたからな。いつだってそんな調子だった。ヤツと一緒にいるのは本当に楽しかったよ」

 バークレーはこんな悪ふざけも企んだ。

「テレビの撮影で昼食をとることになっていたんだ。蓋付きの皿が並んでいて、チャールズに言われてその蓋を取ったら、中から目を剥いたマホーンが出てきた。心臓が止まるかと思ったよ!マホーンはテーブルに穴をくりぬいて、その下にずっと隠れていたのさ」(ボル)
 
 93年7月にシクサーズを解雇されると、その後はマイアミ・ヒートを経て、ブレッツ、シクサーズ、ウォリアーズと古巣に一度ずつ復帰したのち、95年を最後にNBAから引退した。通算2086ブロックに対し得点は1599。得点よりブロックの方が多かった選手はボルしかいない。

「すごい選手じゃなかったが、あのブロックは大したもんだった。もっと正当に評価されるべきだった」とバークレーは語っている。

引退後は母国の平和のため私財を投じ政治活動に従事

 その後マイナーリーグや海外でも少しの間プレーしたが、やがて本格的に母国スーダンのための活動に取り組み始める。

 スーダンでは支配層である北部のイスラム教徒によって、キリスト教を信仰する南部のディンカ族らが圧迫を受けていた。彼らは人民解放軍(反政府軍)を組織して対抗。長い間内戦状態が続き、数百万人にも及ぶ犠牲者を出した。スーダン西部のダルフールでの大量虐殺が、国際的な非難を浴びたことも有名だ。