8月31日(日本時間9月1日、日付は以下同)。今季限りで現役を引退したヴィンス・カーター(元トロント・ラプターズほか)がNBAアナリストとして『ESPN』に加わることに合意したと『The New York Post』が報じた。
カーターは1990年代、2000年代、2010年代、2020年代という4つのディケイドでNBAのコートに立った選手であり、史上最長となるキャリア22シーズンをプレーしたレジェンド。
22年間のキャリアの中で、カーターは新人王(99年)を皮切りにオールスターに8度、オールNBAチームには2度選ばれた。00年にはオールスターのスラムダンク・コンテストで優勝すると、同年のシドニーオリンピックでは金メダルを獲得。フランス戦では218㎝のフレデリック・ワイスを飛び越えて叩き込んだ“人間越えダンク”で世界中に強烈なインパクトを残した。
トロント・ラプターズでキャリアをスタートさせたカーターは、その後ニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツ、オーランド・マジック、フェニックス・サンズ、ダラス・マーベリックス、メンフィス・グリズリーズ、サクラメント・キングスと渡り歩き、キャリア最後の2シーズンはアトランタ・ホークスでプレー。
引退後にキャスターの座を狙っていたカーターにとって、ホークスの本拠地であるアトランタは『NBA TV』や『ターナー・ブロードキャスティング(衛星テレビおよびケーブルテレビ向け放送局)』のホーム。元ダンク王は2018年にチームと契約を結んだが、その時点でセカンドキャリアを見据えていたのかもしれない。
カーターは昨年8月に『スポーツイラストレイテッド』へ「自分はゲームについて指導することが好きだけど、コーチにはなりたくない」と切り出し、NBAメディアに携わっていくことについて、このように話していた。
「自分がコーチ陣に何か意見を言ったとしても、そこにはなんの忠誠心もない。でも僕は番組の中でコーチになりたい。観てくれる人たちへ、(試合の中で)選手たちが見ているものや、プロフェッショナルの選手としてどのように見ているかを分かってもらう手助けがしたいんだ」
カーターは20代の頃に所属したラプターズやネッツではエースとして活躍。その後、キャリア中盤以降はチームの2~3番手の役割を務め、終盤にはベンチから出場するロールプレーヤー、コート内外で若手のメンター(助言者)を務めるなど、多彩な役割をこなしてきただけに、様々な立場から視聴者へNBAの魅力を伝えることができるだろう。
カーターは1990年代、2000年代、2010年代、2020年代という4つのディケイドでNBAのコートに立った選手であり、史上最長となるキャリア22シーズンをプレーしたレジェンド。
22年間のキャリアの中で、カーターは新人王(99年)を皮切りにオールスターに8度、オールNBAチームには2度選ばれた。00年にはオールスターのスラムダンク・コンテストで優勝すると、同年のシドニーオリンピックでは金メダルを獲得。フランス戦では218㎝のフレデリック・ワイスを飛び越えて叩き込んだ“人間越えダンク”で世界中に強烈なインパクトを残した。
トロント・ラプターズでキャリアをスタートさせたカーターは、その後ニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツ、オーランド・マジック、フェニックス・サンズ、ダラス・マーベリックス、メンフィス・グリズリーズ、サクラメント・キングスと渡り歩き、キャリア最後の2シーズンはアトランタ・ホークスでプレー。
引退後にキャスターの座を狙っていたカーターにとって、ホークスの本拠地であるアトランタは『NBA TV』や『ターナー・ブロードキャスティング(衛星テレビおよびケーブルテレビ向け放送局)』のホーム。元ダンク王は2018年にチームと契約を結んだが、その時点でセカンドキャリアを見据えていたのかもしれない。
カーターは昨年8月に『スポーツイラストレイテッド』へ「自分はゲームについて指導することが好きだけど、コーチにはなりたくない」と切り出し、NBAメディアに携わっていくことについて、このように話していた。
「自分がコーチ陣に何か意見を言ったとしても、そこにはなんの忠誠心もない。でも僕は番組の中でコーチになりたい。観てくれる人たちへ、(試合の中で)選手たちが見ているものや、プロフェッショナルの選手としてどのように見ているかを分かってもらう手助けがしたいんだ」
カーターは20代の頃に所属したラプターズやネッツではエースとして活躍。その後、キャリア中盤以降はチームの2~3番手の役割を務め、終盤にはベンチから出場するロールプレーヤー、コート内外で若手のメンター(助言者)を務めるなど、多彩な役割をこなしてきただけに、様々な立場から視聴者へNBAの魅力を伝えることができるだろう。