10月4日(日本時間5日、日付は以下同)に行なわれたNBAファイナル第3戦は、115-104でマイアミ・ヒートがロサンゼルス・レイカーズを撃破。これで対戦成績はヒートの1勝2敗、ジミー・バトラーにトリプルダブル(40得点、11リバウンド、13アシスト)の大活躍を許してしまったレイカーズは、このシリーズ初黒星を喫した。
そんななかで、プレーオフに入り好調をキープしているレイカーズのラジョン・ロンドは、5点ビハインドで迎えた第4クォーター残り8分56秒に技ありのレイアップを決め、チームの一時逆転を演出。ファイナル第2戦までのスタッツは平均9.5点、3.8リバウンド、7.2アシスト、1.3スティールに加え、フィールドゴール(FG)成功率48.9%、3ポイント成功率44.7%と上々の成績を残している。
ニューオリンズ・ペリカンズ時代もチームメイトだったアンソニー・デイビスが「“プレーオフ・ロンド”は本物」と話していた通りの活躍を見せているロンドだが、その“プレーオフ・ロンド”という異名はいつついたのか。その答えについて、元同僚かつ対戦相手でもあったレオン・ポウが『ESPN』へ明かしていたので紹介したい。
ポウは2008年、ボストン・セルティックスの一員として優勝を経験。当時はキャリア2年目だったロンドが先発ポイントガードを務めており、ポール・ピアース、ケビン・ガーネット、レイ・アレンといったレジェンドたちを強気にリードしてチャンピオンリング獲得に貢献した。
ポウが言及したのは、それから2年後の2010年プレーオフ。セルティックスがクリーブランド・キャバリアーズと対戦したカンファレンス・セミファイナルだった。
「俺が覚えているのは、パークが言い始めたってこと。ロンドが俺たちを打ち負かし、パークはずっと『これが“プレーオフ・ロンド”だ!』と叫んでいたよ」
ポウは同シーズンからキャバリアーズに加入していたものの、ローテーションから外れたベンチウォーマーに過ぎなかった。この年リーグ最高勝率(61勝21敗/勝率74.4%)を残していたキャバリアーズを率いていたのは、シリーズ平均26.8点、9.3リバウンド、7.2アシスト、2.2スティール、1.3ブロックと大車輪の働きを見せていたレブロン・ジェームズ(現レイカーズ)。そして、その前に立ちはだかったのが当時24歳のロンドだった。
そんななかで、プレーオフに入り好調をキープしているレイカーズのラジョン・ロンドは、5点ビハインドで迎えた第4クォーター残り8分56秒に技ありのレイアップを決め、チームの一時逆転を演出。ファイナル第2戦までのスタッツは平均9.5点、3.8リバウンド、7.2アシスト、1.3スティールに加え、フィールドゴール(FG)成功率48.9%、3ポイント成功率44.7%と上々の成績を残している。
ニューオリンズ・ペリカンズ時代もチームメイトだったアンソニー・デイビスが「“プレーオフ・ロンド”は本物」と話していた通りの活躍を見せているロンドだが、その“プレーオフ・ロンド”という異名はいつついたのか。その答えについて、元同僚かつ対戦相手でもあったレオン・ポウが『ESPN』へ明かしていたので紹介したい。
ポウは2008年、ボストン・セルティックスの一員として優勝を経験。当時はキャリア2年目だったロンドが先発ポイントガードを務めており、ポール・ピアース、ケビン・ガーネット、レイ・アレンといったレジェンドたちを強気にリードしてチャンピオンリング獲得に貢献した。
ポウが言及したのは、それから2年後の2010年プレーオフ。セルティックスがクリーブランド・キャバリアーズと対戦したカンファレンス・セミファイナルだった。
「俺が覚えているのは、パークが言い始めたってこと。ロンドが俺たちを打ち負かし、パークはずっと『これが“プレーオフ・ロンド”だ!』と叫んでいたよ」
ポウは同シーズンからキャバリアーズに加入していたものの、ローテーションから外れたベンチウォーマーに過ぎなかった。この年リーグ最高勝率(61勝21敗/勝率74.4%)を残していたキャバリアーズを率いていたのは、シリーズ平均26.8点、9.3リバウンド、7.2アシスト、2.2スティール、1.3ブロックと大車輪の働きを見せていたレブロン・ジェームズ(現レイカーズ)。そして、その前に立ちはだかったのが当時24歳のロンドだった。