NBA

「ダンクを控えるように言われていた」名ダンカーのケンプがNBAでの“下積み時代”を回想

ダンクシュート編集部

2020.10.13

NBA屈指のダンカーとして知られるケンプだが、ルーキーイヤーはHCからダンクを控えるように言われていたという。(C)Getty Images

 異次元のパワーとスピード、40インチ(約101.6cm)を超える驚異のジャンプ力を誇り、ダンクの雨を降らせる――。"レインマン"ことショーン・ケンプは、1990年代を象徴するアスレティック系パワーフォワードだった。シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)で"相棒"ゲイリー・ペイトンとコンビを組み、阿吽の呼吸でアリウープを連発する前の、ルーキーイヤーのエピソードを『BTM Basketball Time Machine』で明かしている。

 地元インディアナ州のコンコード高校では1年時からスターターとして活躍。体育館はケンプのプレーを一目見ようとするファンで毎試合埋め尽くされ、当時から有名大学だけでなく、NBAのスカウトまでもが視察に訪れるほどの怪物だった。

 ケンタッキー大へ進学後、SAT(大学進学適性試験)の点数不足による1年間プレー不可の状況に窃盗疑惑も重なり、1試合も出場することなく退学。短大編入を経て、1989年ドラフト1巡目17位指名でソニックスに加入した。

 子どもの頃のお気に入りの選手はドクターJ(ジュリアス・アービング)で、「あの時代、ドクターJは俺たちの人生の象徴だった」と話すケンプ。しかし、のちのNBA史上最も壮観なゲームタイムダンカーの1人となるまでには"下積み時代"も過ごしている。
 
 ルーキーイヤーの1989-90シーズンのソニックスには、マイケル・ケイジやスティーブ・ジョンソン、オルデン・ポリニス、ブラッド・セラーズとビッグマンが所属しており、プロ入り時19歳だったケンプは彼らの後塵を拝していることに気づいたという。

「ソニックスにドラフトされた日、チームのロースター表を見て、俺は12人中の12番目の男だと気づいた。学ぶことはたくさんあり、ハードワークし続けなければいけないと。まだNBAでプレーする準備が整っていないと感じたよ。俺はアシスタントコーチと一緒に、シュート、フットワーク、肉体強化、フィニッシュ力の向上とすべてに取り組んだ。ダンクだけの男だと思われたくなかった」

 ケンプは1年目、81試合(先発1試合)に出場して平均6.5点、4.3リバウンドを記録したが、当時チームを率いていたバーニー・ビッカースタッフ・ヘッドコーチからは、ダンクに関してある指令が出ていたと明かす。

「リーグに入った当初は、ダンクを控えるように言われていた。みんな無駄遣いを好まなかったんだ。ダンクをするまで開幕2~3週間は待たないといけなかった」