ロサンゼルス・レイカーズに加入して2年目の今季、ラジョン・ロンドは貴重なリザーブとして活躍し、自身2度目のNBAチャンピオンに輝いた。
ロンドが前回優勝したのはキャリア2年目の2007-08シーズン。ボストン・セルティックスでポール・ピアースやケビン・ガーネット、レイ・アレンらとともに勝ち取ったものだった。
「僕にとってはものすごく長かった。この舞台に戻り、自分の評価を取り戻すべくやってきた。このチャンピオンシップにおいて、重要な役割を果たせたことは本当に最高だし、自分の人生においてこれから先もずっと忘れないだろうね。今回は9歳の息子と最高の経験を共有できて、ものすごく感謝している。12年前、息子はまだ生まれていなかった。息子と優勝を分かち合い、家で娘も観てくれているなんて夢のような感覚さ」
マイアミ・ヒートとのNBAファイナルを4勝2敗で制し、優勝を決めた直後の会見でロンドはそう振り返り、12年ぶりの栄冠を喜んだ。
NBA史上、東西の両雄であるレイカーズとセルティックスの2チームで優勝を経験したのは、ロンド以外ではクライド・ラブレットのみ。ラブレットは1954年に当時ミネアポリスに本拠地を置いていたレイカーズ、63、64年にセルティックスで優勝している。よってロンドは"ロサンゼルス"レイカーズとセルティックスで優勝を味わった史上初の選手となった。
ロンドにはプレーオフで真価を発揮するという一面から、"プレーオフ・ロンド"という異名がある。事実、通算成績ではレギュラーシーズン(平均31.0分、10.2点、4.7リバウンド、8.3アシスト、1.7スティール)よりも、プレーオフ(平均35.9分、13.3点、5.9リバウンド、9.0アシスト、1.8スティール)の方が軒並み好成績を残している。
だがロンド本人はこのニックネームをあまり好んでおらず、10月13日(日本時間14日)に出演した『ESPN』の「The Jump」で、その理由をこう明かしていた。
「僕のキャリア全体を見てほしい。確かにこの数シーズンというもの、いくつかケガに見舞われたし、挫折することもあった。だけど僕は、いつだってハイレベルなパフォーマンスを見せてきたんだ。それに僕はいろんなことに対してうまく対処してきたし、すごくいいキャリアを送ることができていると思うね」
ロンドが前回優勝したのはキャリア2年目の2007-08シーズン。ボストン・セルティックスでポール・ピアースやケビン・ガーネット、レイ・アレンらとともに勝ち取ったものだった。
「僕にとってはものすごく長かった。この舞台に戻り、自分の評価を取り戻すべくやってきた。このチャンピオンシップにおいて、重要な役割を果たせたことは本当に最高だし、自分の人生においてこれから先もずっと忘れないだろうね。今回は9歳の息子と最高の経験を共有できて、ものすごく感謝している。12年前、息子はまだ生まれていなかった。息子と優勝を分かち合い、家で娘も観てくれているなんて夢のような感覚さ」
マイアミ・ヒートとのNBAファイナルを4勝2敗で制し、優勝を決めた直後の会見でロンドはそう振り返り、12年ぶりの栄冠を喜んだ。
NBA史上、東西の両雄であるレイカーズとセルティックスの2チームで優勝を経験したのは、ロンド以外ではクライド・ラブレットのみ。ラブレットは1954年に当時ミネアポリスに本拠地を置いていたレイカーズ、63、64年にセルティックスで優勝している。よってロンドは"ロサンゼルス"レイカーズとセルティックスで優勝を味わった史上初の選手となった。
ロンドにはプレーオフで真価を発揮するという一面から、"プレーオフ・ロンド"という異名がある。事実、通算成績ではレギュラーシーズン(平均31.0分、10.2点、4.7リバウンド、8.3アシスト、1.7スティール)よりも、プレーオフ(平均35.9分、13.3点、5.9リバウンド、9.0アシスト、1.8スティール)の方が軒並み好成績を残している。
だがロンド本人はこのニックネームをあまり好んでおらず、10月13日(日本時間14日)に出演した『ESPN』の「The Jump」で、その理由をこう明かしていた。
「僕のキャリア全体を見てほしい。確かにこの数シーズンというもの、いくつかケガに見舞われたし、挫折することもあった。だけど僕は、いつだってハイレベルなパフォーマンスを見せてきたんだ。それに僕はいろんなことに対してうまく対処してきたし、すごくいいキャリアを送ることができていると思うね」