「ケビンともう一度一緒にプレーする? そうなったら素晴らしいだろうね」。
2006年3月、ニューヨーク・ニックスのステフォン・マーブリーはこのように語った。チームの成績はどん底、ヘッドコーチのラリー・ブラウンとの衝突が続き、マーブリーのトレード話がニューヨークのメディアの間で盛り上がっていた。冒頭のコメントは、古巣のミネソタ・ティンバーウルブズに戻り、ケビン・ガーネット(KG)と再びタッグを組むことになったらどう思うかという質問に対するマーブリーの回答であった。
同じ質問に対してKGはこう答えた。「俺には反対する理由はない。けれど、俺はミネソタを離れるつもりはない。ステフ(マーブリー)もニューヨークにとどまりたいだろうからね。俺らはお互いにそのことを知っている。だから難しいだろうね」。
KGとマーブリー。彼らが同じユニフォームを着ていたのは、その時点でもう10年近くも前のことになっていた。2人で協力し合えばすぐにでも手に入ると思われた栄光の日々は、結局訪れることはないままだった。
■ケタ違いの実力を持ち、友情もはぐくんだ高校時代
2人が初めて知り合ったのは、ともに有望なバスケットボール選手として名を知られ始めていた高校生の頃だった。1歳年下のマーブリーの方からKGに電話をかけてきたのである。謙虚で周囲に気を配るKGと、勝ち気で自信満々のマーブリー。性格は違えども、若い2人の会話は弾み、やがて電話を通じて何でも話し合う間柄となった。
サウスカロライナ州生まれのKGは、地元の高校に通っていた。7フィート(213cm)近い長身でありながら、ガードのスキルを併せ持つ高校生の存在は、関係者の間で有名になっていた。だが、KGは学校で発生した暴動事件に巻き込まれて逮捕されてしまう。彼自身が関わったわけではなく、軽い罪に問われただけだったが、この事件でKGと距離を置くようになった友人もいた。
だが、マーブリーはそうではなかった。KGの母、シャーリーはこう話す。
「ステフォンは、ケビンが一番つらい時期に聞き役になってくれたのよ。息子の人生にとってはとても大きな存在だわ」。
2006年3月、ニューヨーク・ニックスのステフォン・マーブリーはこのように語った。チームの成績はどん底、ヘッドコーチのラリー・ブラウンとの衝突が続き、マーブリーのトレード話がニューヨークのメディアの間で盛り上がっていた。冒頭のコメントは、古巣のミネソタ・ティンバーウルブズに戻り、ケビン・ガーネット(KG)と再びタッグを組むことになったらどう思うかという質問に対するマーブリーの回答であった。
同じ質問に対してKGはこう答えた。「俺には反対する理由はない。けれど、俺はミネソタを離れるつもりはない。ステフ(マーブリー)もニューヨークにとどまりたいだろうからね。俺らはお互いにそのことを知っている。だから難しいだろうね」。
KGとマーブリー。彼らが同じユニフォームを着ていたのは、その時点でもう10年近くも前のことになっていた。2人で協力し合えばすぐにでも手に入ると思われた栄光の日々は、結局訪れることはないままだった。
■ケタ違いの実力を持ち、友情もはぐくんだ高校時代
2人が初めて知り合ったのは、ともに有望なバスケットボール選手として名を知られ始めていた高校生の頃だった。1歳年下のマーブリーの方からKGに電話をかけてきたのである。謙虚で周囲に気を配るKGと、勝ち気で自信満々のマーブリー。性格は違えども、若い2人の会話は弾み、やがて電話を通じて何でも話し合う間柄となった。
サウスカロライナ州生まれのKGは、地元の高校に通っていた。7フィート(213cm)近い長身でありながら、ガードのスキルを併せ持つ高校生の存在は、関係者の間で有名になっていた。だが、KGは学校で発生した暴動事件に巻き込まれて逮捕されてしまう。彼自身が関わったわけではなく、軽い罪に問われただけだったが、この事件でKGと距離を置くようになった友人もいた。
だが、マーブリーはそうではなかった。KGの母、シャーリーはこう話す。
「ステフォンは、ケビンが一番つらい時期に聞き役になってくれたのよ。息子の人生にとってはとても大きな存在だわ」。