NBA

“飛び道具”からNBAの“トレンド”となった3ポイント。各年代の最強シューターは誰だ?

ダンクシュート編集部

2020.11.11

1980年代はバード(左)、2010年代はカリーがトップとなったが、成功数には大きな差があった。(C)Getty Images

 現代のバスケットボールにおいて不可欠な存在となっている3ポイントシュート。元々は1967~76年まで存在したNBAのライバルリーグ、ABA(American Basketball Association)が採用したもので、当時は「ホームラン」とも言われていた。NBAでは1979-80シーズンから3ポイントラインを導入したものの、1980年代はビッグマンの全盛期。そのため"飛び道具"の印象が強く、打つ選手は限られ、"神様"マイケル・ジョーダンもデビューから4年間で成功数はわずか31本、成功率16.4%にとどまっていた。

 しかし、外国人選手の増加や純粋なセンターの減少、ルール変更などによってバスケのスタイルが変化。現代ではストレッチ4、ストレッチ5といった言葉があるように、ビッグマンも当たり前のように3ポイントを放つようになった。『fadeaway world』が、3ポイントライン採用後、NBAで最も多くの長距離砲を決めた選手を年代別に紹介している(カッコ内は成功数&成功率)。
 
1980年代:ラリー・バード(527本/成功率38%)
1990年代:レジー・ミラー(1728本/成功率40%)
2000年代:レイ・アレン(2162本/成功率40%)
2010年代:ステフィン・カリー(2953本/成功率43%)

 80年代のトップはバードで、自身のルーキーイヤーからNBAは3ポイントを採用。206㎝のフォワードは、1年目から58本成功と早くから3ポイントを得点パターンに取り入れ、86、87年には成功数でリーグトップに。87年にはフェニックス・サンズ(61本)やデトロイト・ピストンズ(39本)をはじめ、1人で9チームの年間成功数を上回る90本を沈めた。86年からスタートした3ポイントコンテストでは、第1回から3大会連続でチャンピオンに輝いている。

 ミラーは、プロ3年目から15シーズン連続で100本以上の3ポイントを決めた名シューター。成功数で2回リーグ1位になった以外、タイトルには縁がなかったものの、抜群の勝負強さを誇った。なかでも95年のカンファレンス準決勝初戦、6点ビハインドの終盤に2本連続で3ポイントをねじ込んだプレーは、キャリアのハイライトとなっている。そのほかにも、数々のクラッチシュートを3ポイントで記録。キャリアの晩年を迎えてもシュート力は健在で、引退時点での3ポイント成功数(2560)は歴代トップだった。