人に歴史あり。バスケにスーパースターあり。スーパースターにシグネチャーモデルあり。シグネチャーモデルにBOXあり!
デリック・ローズは、1988年イリノイ州シカゴで生まれ、3人の兄の影響でバスケットボールを始めました。地元の高校では、1年時から平均19.8点、5.1リバウンド、8.3アシストを記録し、3年目には州チャンピオンに。翌年にはシカゴ・パブリック・リーグ初となる連覇を達成。このシーズンには全米ランキング1位のオークヒル・アカデミーを破ったことでローズの知名度は一気に向上しました。
大学はメンフィス大に進み、1年目から平均14.9点、4.7アシストをあげ、NCAAトーナメント決勝に進出。チームは延長の末、カンザス大に敗れてしまいますが、ローズの評価は落ちることなく、2008年NBAドラフトにアーリーエントリーします。
ドラフトでは地元のシカゴ・ブルズに1位指名を受けて入団。ルーキーシーズンでは平均16.8点、6.3アシストの活躍でチームをプレーオフに導き、新人王を手にします。さらにプレーオフ初戦では、前年王者のボストン・セルティックス相手に36得点、11アシストと大暴れ。第7戦で力尽きましたが、ローズは大舞台でも強烈なインパクトを残しました。
翌年には、ブルズの選手としては98年のマイケル・ジョーダン以来となるオールスターに出場。そして3年目の2010-11シーズンには平均25.0点、7.7アシスト、4.1リバウンドを稼ぎ、史上最年少となる22歳6か月でMVPに輝きました。
若くしてNBAの顔となったローズは、11年にアディダスと14年総額2億5000万ドル大型契約を締結します。
順風満帆なキャリアを送っていたローズでしたが、ここから試練が訪れます。12年のプレーオフで左ヒザ前十字靱帯を断裂し、翌シーズンを全休すると、13-14シーズンには右ヒザ半月板損傷。わずか10試合の出場に終わりました。
16年、ブルズはフランチャイズプレーヤーのローズをついにトレード。移籍先となったニューヨーク・ニックスでは平均18.0点をあげたものの、チーム成績は振るわず、翌年にはクリーブランド・キャバリアーズへ。しかしチームにフィットすることなく、シーズン中にミネソタ・ティンバーウルブズにトレードと、元MVPはジャーニーマン化してしまいました。
相次ぐケガで輝きを失い、"終わった選手"と思われていたローズ。しかし、ウルブズ在籍時の18年10月の試合でキャリアハイとなる50得点を奪い、見事な復活を遂げます。昨季は地元シカゴに近いデトロイト・ピストンズでチーム最多の平均18.1点を叩き出し、ファンを喜ばせました。
前置きが長くなりましたが、今回は、自身のシグネチャー「DR10」と彼が全米に自身の名を轟かせたマクドナルド・オール・アメリカン(高校生のオールスターゲーム)のコラボモデルを紹介しましょう。
デリック・ローズは、1988年イリノイ州シカゴで生まれ、3人の兄の影響でバスケットボールを始めました。地元の高校では、1年時から平均19.8点、5.1リバウンド、8.3アシストを記録し、3年目には州チャンピオンに。翌年にはシカゴ・パブリック・リーグ初となる連覇を達成。このシーズンには全米ランキング1位のオークヒル・アカデミーを破ったことでローズの知名度は一気に向上しました。
大学はメンフィス大に進み、1年目から平均14.9点、4.7アシストをあげ、NCAAトーナメント決勝に進出。チームは延長の末、カンザス大に敗れてしまいますが、ローズの評価は落ちることなく、2008年NBAドラフトにアーリーエントリーします。
ドラフトでは地元のシカゴ・ブルズに1位指名を受けて入団。ルーキーシーズンでは平均16.8点、6.3アシストの活躍でチームをプレーオフに導き、新人王を手にします。さらにプレーオフ初戦では、前年王者のボストン・セルティックス相手に36得点、11アシストと大暴れ。第7戦で力尽きましたが、ローズは大舞台でも強烈なインパクトを残しました。
翌年には、ブルズの選手としては98年のマイケル・ジョーダン以来となるオールスターに出場。そして3年目の2010-11シーズンには平均25.0点、7.7アシスト、4.1リバウンドを稼ぎ、史上最年少となる22歳6か月でMVPに輝きました。
若くしてNBAの顔となったローズは、11年にアディダスと14年総額2億5000万ドル大型契約を締結します。
順風満帆なキャリアを送っていたローズでしたが、ここから試練が訪れます。12年のプレーオフで左ヒザ前十字靱帯を断裂し、翌シーズンを全休すると、13-14シーズンには右ヒザ半月板損傷。わずか10試合の出場に終わりました。
16年、ブルズはフランチャイズプレーヤーのローズをついにトレード。移籍先となったニューヨーク・ニックスでは平均18.0点をあげたものの、チーム成績は振るわず、翌年にはクリーブランド・キャバリアーズへ。しかしチームにフィットすることなく、シーズン中にミネソタ・ティンバーウルブズにトレードと、元MVPはジャーニーマン化してしまいました。
相次ぐケガで輝きを失い、"終わった選手"と思われていたローズ。しかし、ウルブズ在籍時の18年10月の試合でキャリアハイとなる50得点を奪い、見事な復活を遂げます。昨季は地元シカゴに近いデトロイト・ピストンズでチーム最多の平均18.1点を叩き出し、ファンを喜ばせました。
前置きが長くなりましたが、今回は、自身のシグネチャー「DR10」と彼が全米に自身の名を轟かせたマクドナルド・オール・アメリカン(高校生のオールスターゲーム)のコラボモデルを紹介しましょう。
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