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NBA

「マジックと違うのはサイズだけ」。ヒートで不死鳥のごとく蘇ったハーダウェイのキャリア【NBAレジェンド列伝・後編】

出野哲也

2020.12.03

ウォリアーズで居場所を失ったハーダウェイだが、96年に移籍したヒートで復活。翌年にはチームをカンファレンス決勝まで導いた。(C)Getty Images

ウォリアーズで居場所を失ったハーダウェイだが、96年に移籍したヒートで復活。翌年にはチームをカンファレンス決勝まで導いた。(C)Getty Images

 ハーダウェイ、マリン、リッチモンドを中心にウォリアーズは順調に成長を続けていた。しかし90-91シーズン終了後にリッチモンドがキングスにトレードされ、RUN-TMCはあえなく解体された(TMCはハーダウェイ、リッチモンド、マリンのファーストネームの頭文字)。それでもハーダウェイ自身はその後も活躍を続ける。93年まで3年連続でオールスターに出場し、94年に開催予定だった世界選手権のメンバー“ドリームチームⅡ”にも、ヘッドコーチに任命されたネルソン直々の指名で加わることになっていた。

 ところがメンバー発表からわずか2週間後、練習中に左ヒザの前十字靭帯を断裂してしまう。世界選手権どころか、93-94シーズンを全休するほどの重傷だった。復帰後は以前のスピードが失われ、ドライブよりもアウトサイドシュート中心の攻撃スタイルにシフトせざるを得なくなった。

 別の問題も生じていた。彼の欠場中、ウォリアーズではラトレル・スプリーウェルが新たにスターとなっていたのだ。スプリーウェルもハーダウェイと同じように、ボールを持ちたがり積極的にシュートを打つ選手で、彼ら2人がボールを取り合うようになって混乱が生じた。しかもスプリーウェルはネルソンとは犬猿の仲で、やがてはネルソンのお気に入りであるハーダウェイとも反目し合うようになった。
 
 94-95シーズン途中にネルソンが解任されると、ハーダウェイはチーム内で孤立する。リック・アデルマンがコーチとなった翌95-96シーズンは控えに降格させられた上、アデルマンに公然と反抗し、ついにはシーズン途中でマイアミ・ヒートへトレードされた。

■不死鳥のごとく蘇りヒートのレジェンドへ

 だが、この移籍は彼にとって吉と出た。新たな環境で心機一転し、またケガの後遺症もほぼ消え去ったことで、96-97シーズンは平均20.3点、8.6アシストの好成績を残す。他球団からの寄せ集め集団だったヒートをチームリーダーとしてまとめ上げたことを評価されて、初めてオールNBA1stチームにも選出された。「彼のおかげで俺のプレーは向上した(アロンゾ・モーニング)、「俺たちのゴー・トゥ・ガイ、我がチームのMVPさ」(PJ・ブラウン)とチームメイトたちは口々にハーダウェイを讃えた。ヘッドコーチのパット・ライリーも「彼の気性、統率力、技術はマジック(ジョンソン)と同等だ。違うのはサイズだけだよ」と激賞した。レイカーズ時代にマジックのコーチだった人物の、最大級の誉め言葉だった。

 ハーダウェイやモーニングの活躍で、ヒートは97年にはカンファレンス決勝まで進んだ。だが、その後はライリーの古巣ニューヨーク・ニックスと3年続けてプレーオフで対戦し、いずれも敗れてしまう。特に99年はイースタン最高勝率を記録していながら、第8シードのニックスに敗れる史上2度目の大番狂わせを喫してしまった。
 

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