ドラフトは各チームにとってフランチャイズの未来を占う重要な人材発掘の場だ。ただ、近年はスーパースターの移籍も珍しくなく、コビー・ブライアントやティム・ダンカンのような、プロ入りからひとつの球団でキャリアを終える選手は絶滅寸前となっている。
もし年代を問わずドラフト指名orデビュー前に入団した選手を対象に、各チームのベスト5を結成したらどういった顔ぶれになるのか?『Hoopshype』が、30球団の“オールドラフトチーム”を発表している(チーム名は略称、カッコは入団年)。
今回は、イーストのバックス、キャバリアーズ、ピストンズ、ホークス、ペイサーズの5チームだ。
■バックス
ガード:シドニー・モンクリーフ(1979)、レイ・アレン(1996)
フォワード:ジュリアス・アービング(1972)、ヤニス・アデトクンボ(2013)
センター:カリーム・アブドゥル・ジャバー(1969)
ジャバーはチーム史上最高の選手と言われるビッグマン。伝家の宝刀“スカイフック”で71、72年に2年連続で得点王に輝き、71年の優勝の立役者となった。モンクリーフは攻守のバランスに優れ、オールディフェンシブチームに5回選出、83年に創設された最優秀守備選手賞の初代受賞者でもある。アレンは96年のドラフト当日のトレードでミルウォーキーへ。数年間はグレン・ロビンソンに次ぐ2番手だったが、スラッシャー兼シューターとして4年目から№1オプションとなり、低迷していたバックスをプレーオフの常連に押し上げた。
現在のチームでエースを務めるヤニスは、2年目の14年から先発に定着すると、4年目に平均20点超え。19年にはバックスの選手ではジャバー(71年)以来となるシーズンMVPに選ばれた。“ドクターJ”ことアービングは、72年の1巡目12位で指名も、前年にライバルリーグのABAでデビューしていたため、入団は叶わなかった。もしこの名ダンカーが加入していれば、フランチャイズの歴史は大きく変わっていただろう。
■キャバリアーズ
ガード:カイリー・アービング(2011)、ケビン・ジョンソン(1987)
フォワード:レブロン・ジェームズ(2003)、ビル・レインビア(1979)
センター:ブラッド・ドアティ(1986)
86年のドラ1、ドアティは91年から3年連続で平均20点、10リバウンド以上を奪取。リーグ屈指のビッグマンとなったが、背中のケガに苦しめられ、28歳の若さでユニフォームを脱いだ。地元オハイオ出身のレブロンは1年目から期待通りの活躍を披露。“キング”に導かれ、チームは07年にはファイナルに勝ち進んだ。10年にヒートへ移籍し、大バッシングを浴びたが、14年に復帰。ライジングスターのアービングとともに、16年に故郷に初の栄冠をもたらした。ジョンソンは1年目、レインビアは2年目の途中でトレード。前者はサンズ、後者はピストンズのスタメンとなり、オールスター選手に成長した。
もし年代を問わずドラフト指名orデビュー前に入団した選手を対象に、各チームのベスト5を結成したらどういった顔ぶれになるのか?『Hoopshype』が、30球団の“オールドラフトチーム”を発表している(チーム名は略称、カッコは入団年)。
今回は、イーストのバックス、キャバリアーズ、ピストンズ、ホークス、ペイサーズの5チームだ。
■バックス
ガード:シドニー・モンクリーフ(1979)、レイ・アレン(1996)
フォワード:ジュリアス・アービング(1972)、ヤニス・アデトクンボ(2013)
センター:カリーム・アブドゥル・ジャバー(1969)
ジャバーはチーム史上最高の選手と言われるビッグマン。伝家の宝刀“スカイフック”で71、72年に2年連続で得点王に輝き、71年の優勝の立役者となった。モンクリーフは攻守のバランスに優れ、オールディフェンシブチームに5回選出、83年に創設された最優秀守備選手賞の初代受賞者でもある。アレンは96年のドラフト当日のトレードでミルウォーキーへ。数年間はグレン・ロビンソンに次ぐ2番手だったが、スラッシャー兼シューターとして4年目から№1オプションとなり、低迷していたバックスをプレーオフの常連に押し上げた。
現在のチームでエースを務めるヤニスは、2年目の14年から先発に定着すると、4年目に平均20点超え。19年にはバックスの選手ではジャバー(71年)以来となるシーズンMVPに選ばれた。“ドクターJ”ことアービングは、72年の1巡目12位で指名も、前年にライバルリーグのABAでデビューしていたため、入団は叶わなかった。もしこの名ダンカーが加入していれば、フランチャイズの歴史は大きく変わっていただろう。
■キャバリアーズ
ガード:カイリー・アービング(2011)、ケビン・ジョンソン(1987)
フォワード:レブロン・ジェームズ(2003)、ビル・レインビア(1979)
センター:ブラッド・ドアティ(1986)
86年のドラ1、ドアティは91年から3年連続で平均20点、10リバウンド以上を奪取。リーグ屈指のビッグマンとなったが、背中のケガに苦しめられ、28歳の若さでユニフォームを脱いだ。地元オハイオ出身のレブロンは1年目から期待通りの活躍を披露。“キング”に導かれ、チームは07年にはファイナルに勝ち進んだ。10年にヒートへ移籍し、大バッシングを浴びたが、14年に復帰。ライジングスターのアービングとともに、16年に故郷に初の栄冠をもたらした。ジョンソンは1年目、レインビアは2年目の途中でトレード。前者はサンズ、後者はピストンズのスタメンとなり、オールスター選手に成長した。