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【名作シューズ列伝】ナイキのポリシーを変えたジョーダンの引退。発売から9年の時を経て復活した「AIR JORDAN1」

西塚克之

2021.01.20

人気モデルであっても復刻版を作らないポリシーを持っていたナイキだが、93年のジョーダン引退を機にそれを解禁した。(C)Getty Images

 人に歴史あり。バスケにスーパースターあり。スーパースターにシグネチャーモデルあり。シグネチャーモデルにBOXあり! 

 今でこそ伝説になっているマイケル・ジョーダンの初代シグネチャー「AIR JORDAN1」。しかし、1985年の発売当初の売れ行きは今ひとつでした。ノースカロライナ大のスター選手だったジョーダンですが、当時のNBAはビッグマンがリーグを支配。弱小かつ不人気チームのシカゴ・ブルズに入団した新人シューティングガードの評価は低く、ブルズ首脳陣も彼をドラフト指名したことを失敗と認め、謝罪するほどでした。

 ジョーダンが契約を望んだadidasも、ノースカロライナ大のスポンサーをしていたCONVERSも契約に至らず、契約したNIKEはバスケ界では新興ブランドでした。
 
 当時のNBAではCONVERSがナンバー1シェア率を誇り、またスーパースターのマジック・ジョンソンとラリー・バードが広告塔を務めていたこともあり、ジョーダンの契約や「AIR JORDAN1」の販売はほとんど話題になりませんでした。

 そのため「AIR JORDAN1」は、バスケ界ではなくスケートボーダーやギャングなどのブラックカルチャーによって細々と息を長らえていたのです。

 状況が一転したのは、90年に発売された「AIR JORDAN5」でした。今まで見たこともない洗練されたスタイリッシュでアクティブなデザインが、世界の人々を虜にします。
 
 さらに、翌年「AIR JORDAN6」を着用したジョーダンがNBAチャンピオンに輝いたことで、ガードが中心のチームでも勝てるという新しい概念が定着。AIR JORDANシリーズの評価は一変します。世にいう"スニーカーバブル"の始まりでした。

 なかでも、デッドストックが少なくカラーバリエーションが豊かな「AIR JORDAN 1」は、幻の商品として大人気になりました。当時NIKEは、一度リリースしたモデルは過去のものであり、スポーツブランドとして最新で最高の機能を提供するという考えから、人気モデルであっても復刻しないというポリシーがありました。それが市場に品薄状態を作り出しモデルの希少価値を高めブームに拍車をかけたのです。



 枯渇したビンテージ市場に恵みの雨が降り出したのは93年のこと。ジョーダンの引退により、シリーズを再評価するという目的で、「AIR JORDAN1」の復刻版を販売したのです。

 前置きが長くなりましたが、今回紹介するのは、94年に復刻された「AIR JORDAN1」。そのディテールは今でもオリジナルに最も近いと言われ現在のビンテージ市場でも高値で取引されています。

 ちなみに、オリジナル版の製作に携わったピーター・ムーアという人物はadidasのアメリカ支社の創設者。学生時代adidasが好きだったジョーダンとの縁を感じてしまいます。