1月26日(日本時間27日)は、バスケットボール界にとって忘れられない1日である。2020年の同日、ロサンゼルス・レイカーズ、そしてNBAのレジェンドであるコビー・ブライアントが次女ジアナやそのチームメイトらとともに、バスケットボールの試合に向かう途中にヘリコプター墜落事故に遭い、41歳で命を落とした。
世界中が悲しみに暮れた出来事から1年、ライバルにして戦友だったシャキール・オニール(シャック)が胸中を明かしている。
2人がチームメイトになったのは1996年。シャックはオーランド・マジックからFA(フリーエージェント)で、コビーは同年のドラフト1巡目13位でシャーロット・ホーネッツから指名を受けた後、トレードでレイカーズに加入した。
他を寄せつけないパワーを誇る怪物センターと、負けん気に満ち溢れた卓越したスコアラーのコンビは、立ちはだかる相手を次々と撃退。2000~02年にはリーグ3連覇を達成して黄金期を築いた。
しかし、陽気なキャラクターのシャックと、勝利を追い求めてどこまでもストイックなコビーの間には徐々にズレが生じ、確執として表面化。共闘8年間でファイナル進出4回、優勝3回と輝かしい結果を残しながら、2003−04シーズン終了後に契約期間が重なり、レイカーズは若いコビーを中心としたチームを作る道を選択し、シャックはマイアミ・ヒートへトレードされてコンビは終焉を迎えた。
別々の道を歩んだあとも、距離は縮まらない状態が続いていたが、和解して雪解けの時を迎えた。そんななかで、20年1月26日に悲運のヘリコプター墜落事故が起こった。シャックはコビー急逝の第一報を耳にした時、息子とジムにいたとされる。当時、頻繁に連絡を取り合っていなかったことを後悔していると明かしていた。
まもなく1周忌を迎えるなかで、シャックは『NBC』の番組"Today"に出演。「コビーはすでにレジェンドだった。絶対に忘れられない男だった。死ぬにはあまりに早すぎた。(コビーの死から)いつの間にか1年が経っていた」とこの1年を振り返っている。シャックは自身の妹も直前に亡くしており、より深い関係性であるべきだったと後悔の念を口にする。
世界中が悲しみに暮れた出来事から1年、ライバルにして戦友だったシャキール・オニール(シャック)が胸中を明かしている。
2人がチームメイトになったのは1996年。シャックはオーランド・マジックからFA(フリーエージェント)で、コビーは同年のドラフト1巡目13位でシャーロット・ホーネッツから指名を受けた後、トレードでレイカーズに加入した。
他を寄せつけないパワーを誇る怪物センターと、負けん気に満ち溢れた卓越したスコアラーのコンビは、立ちはだかる相手を次々と撃退。2000~02年にはリーグ3連覇を達成して黄金期を築いた。
しかし、陽気なキャラクターのシャックと、勝利を追い求めてどこまでもストイックなコビーの間には徐々にズレが生じ、確執として表面化。共闘8年間でファイナル進出4回、優勝3回と輝かしい結果を残しながら、2003−04シーズン終了後に契約期間が重なり、レイカーズは若いコビーを中心としたチームを作る道を選択し、シャックはマイアミ・ヒートへトレードされてコンビは終焉を迎えた。
別々の道を歩んだあとも、距離は縮まらない状態が続いていたが、和解して雪解けの時を迎えた。そんななかで、20年1月26日に悲運のヘリコプター墜落事故が起こった。シャックはコビー急逝の第一報を耳にした時、息子とジムにいたとされる。当時、頻繁に連絡を取り合っていなかったことを後悔していると明かしていた。
まもなく1周忌を迎えるなかで、シャックは『NBC』の番組"Today"に出演。「コビーはすでにレジェンドだった。絶対に忘れられない男だった。死ぬにはあまりに早すぎた。(コビーの死から)いつの間にか1年が経っていた」とこの1年を振り返っている。シャックは自身の妹も直前に亡くしており、より深い関係性であるべきだったと後悔の念を口にする。