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「ジョーダンは初日から俺を求めていなかった」元ドラ1のブラウンがウィザーズ時代の裏話を暴露<DUNKSHOOT>

ダンクシュート編集部

2021.05.26

ブラウン(右)曰く、2001年のドラフトでジョーダンは自身をトレードの駒として指名したという。(C)Getty Images

 クワミ・ブラウンは2001年に高卒ビッグマンとして鳴り物入りでワシントン・ウィザーズに加入したが、キャリアトータルでは、歴代でも"大成しなかったドラフト1位指名選手"の代表格として不名誉なレッテルを張られた。"神様"マイケル・ジョーダンが指名を望み、大きな十字架を背負うことになったが、ブラウン本人は"孤独な戦い"だったと明かしている。

 2000年にウィザーズの共同オーナー兼バスケットボール運営責任者となったジョーダンは、全体1位指名権を持っていた2001年のドラフトで、グリン・アカデミー高を卒業したばかりのブラウン指名を決断。当時、高卒ルーキーが全体1位指名を受けるのはNBA史上初の出来事だった。

 しかし、ジョーダンからかけられた期待とは裏腹に、1年目は57試合で先発はわずか3回、平均14.3分の出場で4.5点、3.5リバウンド、フィールドゴール成功率38.7%と平凡な数字に終わった。

 ジョーダンの現役ラストイヤーとなった2年目の02-03シーズンは80試合に出場するも、平均7.4点、5.3リバウンドとセカンドユニットから抜け出せず。3年目にようやく先発の座を掴み、平均10.9点、7.4リバウンド、1.5アシストの成績を残したがこれがキャリアハイの数字だった。
 
 05年にトレードでロサンゼルス・レイカーズに放出され、その後メンフィス・グリズリーズ、デトロイト・ピストンズ、シャーロット・ボブキャッツ(現ホーネッツ)、ゴールデンステイト・ウォリアーズ、フィラデルフィア・セブンティシクサーズと渡り歩くも、開花することなく、30歳だった12-13シーズンでNBAキャリアは終了。通算607試合で平均6.6点、5.5リバウンド、ドラフト1位指名選手の中でもワーストクラスの失敗例と揶揄された。

 ブラウンは自身の公式YouTubeチャンネル『Kwame Brown Bust Life』で、キャリア初期のウィザーズでの冷遇ぶりを振り返っている。

「彼ら(ウィザーズ)は試合前、俺に2時間半のトレーニングを強いていたものだった。その後、試合では残り数分で大差がつくまでベンチに座らせられていた。自分が少しでもミスをすれば、コーチは俺のせいで負けたかのように罵り、暴言を吐いた。MJ(ジョーダン)は、ウィザーズ初日から俺を求めていなかった。彼はエルトン・ブランドとのトレードのために俺を指名したが、ウィザーズのオーナーがトレードを阻止したんだ」
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ジョーダンはブラウンをトレードの駒として指名