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NBA

【NBA背番号外伝】初の欠番ホーキンスを筆頭に、ウォージー、ブランドら職人選手が多く着用した「42」の歴史<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.07.14

42番の代表格はレイカーズで欠番になっているウォージー(右)。現役ではホーフォード(左上)、現在シクサーズのGMを務めるブランド(左下)も現役時代に着用した。(C)Getty Images

42番の代表格はレイカーズで欠番になっているウォージー(右)。現役ではホーフォード(左上)、現在シクサーズのGMを務めるブランド(左下)も現役時代に着用した。(C)Getty Images

 MLBでは、20世紀最初の黒人メジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンを顕彰する意味で全球団が背番号42を永久欠番としている。特例として42番をつけていたマリアノ・リベラ(ニューヨーク・ヤンキース)が2013年に引退し、MLBで42番のユニフォームは、特別な場合を除いて着用することができなくなった。

 一方NBAでは、42番で永久欠番になった選手が3人いる。最初のケースはフェニックス・サンズのコニー・ホーキンス。ブルックリン生まれの彼にとって、ブルックリン・ドジャースで活躍したロビンソンの背番号を選択したのは当然のことだった。

 大学時代から有名な選手だったが、八百長事件への関与で当初はNBAではプレーできず、25歳の時にABAでデビューを飾り、1年目にいきなり得点王となる。プロ生活は9年と短かったが、華麗なダンクで強烈な印象を残し、引退直後の1976年に永久欠番になっている。

 ネイト・サーモンドの42番はホーキンスの1年後、77年にクリーブランド・キャバリアーズで欠番となり、84年には全盛期を過ごしたゴールデンステイト・ウォリアーズでも欠番となった。プレーは決して派手ではなかったが、68年に平均20.5点、22リバウンドを叩き出し、シカゴ・ブルズ在籍時の74年には史上初のクァドラプルダブル(22得点、14リバウンド、13アシスト、12ブロック)を達成している。
 
 もう1人の欠番はジェームズ・ウォージー。80年代のロサンゼルス・レイカーズでマジック・ジョンソンらとともに一世を風靡し、大舞台で強さを発揮することから〝ビッグゲーム・ジェームズ〞と呼ばれて、88年のファイナルMVPに輝いた。

 ノースカロライナ大時代は52番だったが、レイカーズではジャマール・ウィルクスの番号だったため、父親から「ジャッキーの背番号にしたらどうだ」と提案され、42番に変更したというエピソードがある。

 42番には、サーモンドのような職人タイプのビッグマンが多い。エルトン・ブランド、ネネ、現役のアル・ホーフォード(ボストン・セルティックス)やロビン・ロペス(ミルウォーキー・バックス)もこのタイプとして名前が挙がる。ホーフォードの父ティトも、ワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)時代に背番号42だった。ブランドが42番なのはロビンソンとは無関係で「中学の時、たまたま一番大きなサイズのユニフォームがこの番号だった」からだそうだ。

 全盛時はアトランタ・ホークスのインサイドを支え、44歳まで現役を続けたケビン・ウィリスは、42以外の番号をつけた時も41、43、45と40番台にこだわった。ヴィン・ベイカーは13年間で4回オールスターに出場したPFで、2000年シドニー五輪のメンバー。ティオ・ラトリフはキャリアで9チームを渡り歩き、常に42番か50番。フィラデルフィア・セブンティシクサーズ、ホークス、ポートランド・トレイルブレイザーズでブロック王に輝いた時は、いずれも42番だった。
 
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