NBAで太く短いキャリアを送ったブランドン・ロイ。抜群のオールラウンド能力を備えながら、両ヒザのケガに悩まされ、実働6シーズンでNBAの舞台を去った"ガラスの天才"が、自身のお気に入りの選手について語った。
2006年のドラフト全体6位でミネソタ・ティンバーウルブズに指名され、その後トレードでポートランド・トレイルブレイザーズに入団したロイは、ラマーカス・オルドリッジ(現ブルックリン・ネッツ)、グレッグ・オーデンらと一時代を築くことを期待されていた。しかし、3年目の08-09シーズンに平均22.6点を記録したのをピークに、右ヒザの半月板損傷、両ヒザの内視鏡手術で輝きを失い、11年12月に現役引退を表明。
翌12年7月にウルブズと契約して電撃復帰するも、ヒザの状態が芳しくなく、出場は5試合のみ。平均5.8点、4.6アシストと平凡な成績に終わり、28歳にしてキャリアの幕を閉じることになった。
引退後は母校の高校のコーチを務めているロイは先日、デンバー・ナゲッツのマイケル・ポーターJr.のポッドキャスト『Life Transitions & Lessons』に出演。同世代のベストプレーヤーを問われると、同じ1984年生まれであるレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)の名前を挙げた。
「レブロンを初めて見た時、『彼がベストプレーヤー』だと思った。あの若き日に、サイズ、ハンドリング、シュート力を備えて完成されていた。高校時代にはトップ中のトップだったよ。メロ(カーメロ・アンソニー/レイカーズ)やCP3(クリス・ポール/フェニックス・サンズ)も素晴らしい選手だけどね」
全盛期のロイはレジェンドであるコビー・ブライアントに「弱点はない」と一目置かれていたことでも知られるが、ロイにとってもコビーは特別な存在だったという。
「マイケル・ジョーダンは私のお気に入りのスポーツ選手で、最も偉大なアスリートだと思っていた。でも、コビー・ブライアントもクールな存在で、最終的に私の2番目(のお気に入り)になった。彼が96年にNBA入りした時、私は『ジョーダンのようにプレーする。そして若い』と思った。年齢層的に自分たちの世代に人気があり、それから偶像化の対象はジョーダンからコビーになった。ステップワーク、ポンプフェイク、フェイダウェイ……、私は常にジョーダンのようにプレーしようとしていたけど、2番目に好きな選手(コビー)が、1番好きな選手(ジョーダン)のようにプレーしているんだ(笑)」
勝負強さも兼ね備えたオールラウンドプレーヤーだったロイは、"ネクスト・ジョーダン"と言われても不思議はないほどのポテンシャルを持っていた。ヒザに爆弾を抱え、故障を繰り返したことで栄光のキャリアを過ごすことはできなかったが、ロイの中では憧れの選手の1人であるコビーとの対戦は良き思い出のようだ。
構成●ダンクシュート編集部
2006年のドラフト全体6位でミネソタ・ティンバーウルブズに指名され、その後トレードでポートランド・トレイルブレイザーズに入団したロイは、ラマーカス・オルドリッジ(現ブルックリン・ネッツ)、グレッグ・オーデンらと一時代を築くことを期待されていた。しかし、3年目の08-09シーズンに平均22.6点を記録したのをピークに、右ヒザの半月板損傷、両ヒザの内視鏡手術で輝きを失い、11年12月に現役引退を表明。
翌12年7月にウルブズと契約して電撃復帰するも、ヒザの状態が芳しくなく、出場は5試合のみ。平均5.8点、4.6アシストと平凡な成績に終わり、28歳にしてキャリアの幕を閉じることになった。
引退後は母校の高校のコーチを務めているロイは先日、デンバー・ナゲッツのマイケル・ポーターJr.のポッドキャスト『Life Transitions & Lessons』に出演。同世代のベストプレーヤーを問われると、同じ1984年生まれであるレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)の名前を挙げた。
「レブロンを初めて見た時、『彼がベストプレーヤー』だと思った。あの若き日に、サイズ、ハンドリング、シュート力を備えて完成されていた。高校時代にはトップ中のトップだったよ。メロ(カーメロ・アンソニー/レイカーズ)やCP3(クリス・ポール/フェニックス・サンズ)も素晴らしい選手だけどね」
全盛期のロイはレジェンドであるコビー・ブライアントに「弱点はない」と一目置かれていたことでも知られるが、ロイにとってもコビーは特別な存在だったという。
「マイケル・ジョーダンは私のお気に入りのスポーツ選手で、最も偉大なアスリートだと思っていた。でも、コビー・ブライアントもクールな存在で、最終的に私の2番目(のお気に入り)になった。彼が96年にNBA入りした時、私は『ジョーダンのようにプレーする。そして若い』と思った。年齢層的に自分たちの世代に人気があり、それから偶像化の対象はジョーダンからコビーになった。ステップワーク、ポンプフェイク、フェイダウェイ……、私は常にジョーダンのようにプレーしようとしていたけど、2番目に好きな選手(コビー)が、1番好きな選手(ジョーダン)のようにプレーしているんだ(笑)」
勝負強さも兼ね備えたオールラウンドプレーヤーだったロイは、"ネクスト・ジョーダン"と言われても不思議はないほどのポテンシャルを持っていた。ヒザに爆弾を抱え、故障を繰り返したことで栄光のキャリアを過ごすことはできなかったが、ロイの中では憧れの選手の1人であるコビーとの対戦は良き思い出のようだ。
構成●ダンクシュート編集部
関連記事
- 「バスケットボールに携わっていたかった」29歳で引退を余儀なくされたブランドン・ロイが第2の人生に選んだ道とは?
- 恐れ知らずの新人王が“ラメロ節”全開で質問に回答!「No.1パサーは俺」「ジョーダンのプレーは見たことない」<DUNKSHOOT>
- ブルズのラビーンが勝負のシーズンへ不退転の決意「皆にとってもの凄く重要なものになる」<DUNKSHOOT>
- 東京五輪を経験した八村塁へ期待を寄せるシェパードGM「ウィザーズではもう少し楽にプレーできる」<DUNKSHOOT>
- 東京五輪が最後の舞台に。アルゼンチンの生ける伝説ルイス・スコラが示した“ベテランの美しき去り際”と“セカンドキャリア”<DUNKSHOOT>