通算326試合、6136得点、1388リバウンド、1517アシスト――。2006年にデビューしたブランドン・ロイのNBAの通算成績である。類まれなオールラウンダーの才能を持ちながら、度重なる故障で29歳にして現役引退を余儀なくされた男は、第2の人生でついに本来の脚光を浴び始めている。
ワシントン大出身のロイは、ミネソタ・ティンバーウルブズから1巡目6位指名を受け、その後ランディ・フォイとの交換トレードによりブレイザーズへ加入した。ルーキーイヤーから先発の座を射止め、平均16.8点、4.4リバウンド、4.0アシスト、1.18スティールで新人王を獲得。ザック・ランドルフがチームを去った2007-08シーズンからはエースを任されると、翌年からは3年連続で勝率5割以上&プレーオフ進出に導いた。
当時、対峙したコビー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)が「ロイに弱点はない」と一目置くほど、勝負強さも兼ね備えたコンプリートプレーヤーだったが、2010年4月の右ヒザ負傷を機にキャリアは一変。ヒザの軟骨損傷(変形性関節症)に苦しみ欠場が増え、2011年1月には両ヒザにメスを入れた。シーズン後半に復帰するもケガは完治せず、同年12月にブレイザーズから引退が発表された。
2012年7月にウルブズと契約して電撃復帰を果たすも、ヒザの状態が芳しくなく、出場は5試合のみ。平均5.8点、4.6アシストと平凡な成績に終わり、2013年5月に解雇。20代にしてNBAプレーヤーとしてのキャリアは幕を閉じることになった。
2016年夏にネイサン・ヘイル高のヘッドコーチ(HC)に就任し、無敗で州チャンピオンシップを獲得した一方で、引退後は離婚や17年4月にギャング同士の抗争に巻き込まれて足を銃撃されるなど、タフな出来事にも直面。セカンドキャリアも試練の連続かと思われたが、翌年に母校ガーフィールド高のHCを任されると、78勝5敗(2020年2月末時点)という圧倒的な勝率を記録して指導者としての名を挙げている。
もともと指導の経験などなかったロイだが、バスケットボールへの強い思いが彼を再びコートに導いた。高校の16~18歳を相手に指導を行なうことは、少なからず“選手の感覚”をもたらしてくれているという。
「彼ら(選手たち)はまだ僕がプレーしている感覚にさせてくれる。僕を指導者の道に進めたのは、バスケットボールが恋しいという気持ちだ。僕はもうプレーできないし、成長できないにもかかわらず、バスケットボールに携わっていたかった。バスケットボールのチームを指導した経験はなかった。とにかくキャンプで子どもたちを指導したよ」
個人的な理由で2019年はコーチングから離れるも、現在は復帰してHC業に勤しむロイの今の目標は――。
「僕は選手として高校でできるだけ上手くなり、大学で自分が上手くなったことを実感したかった。究極の目標はNBAへ行くことだった。今の最終目標はNBAでコーチになることじゃなく、母校に確固たる基盤を作ることだ。次のレベルに挑戦するつもりはない」
ロイには、常に頭の片隅に置いてきた母からの“最高のアドバイス”があるという。
「エゴを捨てなさい」
ブランドン・ロイ、35歳。遠回りをしたかもしれないが、彼は今、第2の人生で着実にエリートの階段を登ろうとしている。
構成●ダンクシュート編集部
【名場面PHOTO】ジョーダン最後のオールスター、コビー81得点、カーターの豪快ダンク……1999-2019 NBA名場面集
ワシントン大出身のロイは、ミネソタ・ティンバーウルブズから1巡目6位指名を受け、その後ランディ・フォイとの交換トレードによりブレイザーズへ加入した。ルーキーイヤーから先発の座を射止め、平均16.8点、4.4リバウンド、4.0アシスト、1.18スティールで新人王を獲得。ザック・ランドルフがチームを去った2007-08シーズンからはエースを任されると、翌年からは3年連続で勝率5割以上&プレーオフ進出に導いた。
当時、対峙したコビー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)が「ロイに弱点はない」と一目置くほど、勝負強さも兼ね備えたコンプリートプレーヤーだったが、2010年4月の右ヒザ負傷を機にキャリアは一変。ヒザの軟骨損傷(変形性関節症)に苦しみ欠場が増え、2011年1月には両ヒザにメスを入れた。シーズン後半に復帰するもケガは完治せず、同年12月にブレイザーズから引退が発表された。
2012年7月にウルブズと契約して電撃復帰を果たすも、ヒザの状態が芳しくなく、出場は5試合のみ。平均5.8点、4.6アシストと平凡な成績に終わり、2013年5月に解雇。20代にしてNBAプレーヤーとしてのキャリアは幕を閉じることになった。
2016年夏にネイサン・ヘイル高のヘッドコーチ(HC)に就任し、無敗で州チャンピオンシップを獲得した一方で、引退後は離婚や17年4月にギャング同士の抗争に巻き込まれて足を銃撃されるなど、タフな出来事にも直面。セカンドキャリアも試練の連続かと思われたが、翌年に母校ガーフィールド高のHCを任されると、78勝5敗(2020年2月末時点)という圧倒的な勝率を記録して指導者としての名を挙げている。
もともと指導の経験などなかったロイだが、バスケットボールへの強い思いが彼を再びコートに導いた。高校の16~18歳を相手に指導を行なうことは、少なからず“選手の感覚”をもたらしてくれているという。
「彼ら(選手たち)はまだ僕がプレーしている感覚にさせてくれる。僕を指導者の道に進めたのは、バスケットボールが恋しいという気持ちだ。僕はもうプレーできないし、成長できないにもかかわらず、バスケットボールに携わっていたかった。バスケットボールのチームを指導した経験はなかった。とにかくキャンプで子どもたちを指導したよ」
個人的な理由で2019年はコーチングから離れるも、現在は復帰してHC業に勤しむロイの今の目標は――。
「僕は選手として高校でできるだけ上手くなり、大学で自分が上手くなったことを実感したかった。究極の目標はNBAへ行くことだった。今の最終目標はNBAでコーチになることじゃなく、母校に確固たる基盤を作ることだ。次のレベルに挑戦するつもりはない」
ロイには、常に頭の片隅に置いてきた母からの“最高のアドバイス”があるという。
「エゴを捨てなさい」
ブランドン・ロイ、35歳。遠回りをしたかもしれないが、彼は今、第2の人生で着実にエリートの階段を登ろうとしている。
構成●ダンクシュート編集部
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