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NBA

「マジック、カリームを倒した? 待て待て」ジョーダンの功績に“宿敵”トーマスが異議!「活躍は作られた話だ」<DUNKSHOOT>

ダンクシュート編集部

2022.03.30

トーマス(右)はジョーダンについて「マジック、バード、カリームには勝っていない。1980年代に躍動していたというのは作られた話」と主張した。(C)Getty Images

トーマス(右)はジョーダンについて「マジック、バード、カリームには勝っていない。1980年代に躍動していたというのは作られた話」と主張した。(C)Getty Images

 かつて“バッドボーイズ”と恐れられたデトロイト・ピストンズの党首アイザイア・トーマスは、現役時代にマイケル・ジョーダンと犬猿の仲だったのは有名な話だ。引退後も両者の溝は埋まらず、トーマスは“神様”の功績に対する称賛に釘を刺している。

 発端は1985年のオールスターゲーム。トーマスが当時ルーキーだったジョーダンにパスをしないように首謀したとされる事件だった。その後、1992年のバルセロナ五輪では、ジョーダンがトーマスの代表入りを拒んだとも言われている。

 2020年4~5月に公開された1997-98シーズンのシカゴ・ブルズを追ったドキュメンタリー『ザ・ラストダンス』では、ジョーダンがトーマスについて「彼がなんと言おうと、“嫌なヤツ”という事実は変えられない」と真っ向から否定。

 それに対してトーマスも『Club Shay Shay』のインタビューで、「個人成績でも、チーム成績でも、ジョーダンは私の足元にも及ばなかった(笑)」「当時、彼は私のライバルでも何でもなかった」と“口撃”し返していた。

 いまも遺恨は残っている。ポッドキャスト番組『The Point Forward』に出演したトーマスは、ジョーダンの栄光の一部は本来、自分のものだと主張している。

「私は(3年連続でファイナルに進出した)1988、89、90年と、帰郷した時には自分のコミュニティで祝われた。チャンピオンとして帰ってきたんだ。シカゴはまだ優勝していなかった。私たちはシカゴを破っていたからね。

 シカゴは1980年代、ディビジョン4~5位(当時、イーストはアトランティックとセントラルの2ディビジョン制)が多かった。ジョーダンはラリー・バード、マジック・ジョンソン、カリーム・アブドゥル・ジャバーを倒した? 待て待て、それは私のストーリーだ」
 
 ジョーダンは1985~90年、個人として平均32.6点、6.6リバウンド、5.9アシスト、FG成功率46%を記録していたが、バッドボーイズの異名を取っていたピストンズに対しては、“ジョーダン・ルール”と呼ばれた徹底マークに苦しめられた。

 プレーオフでは88年から3年連続でピストンズに敗れており、その壁を乗り越えたのはブルズで初優勝を果たした91年。ジャバーはすでに引退し、マジック1人体制となったレイカーズが相手だった。

 一方、トーマスは1988-89シーズンに、バード率いるセルティックス、ジョーダン&スコッティ・ピッペンが在籍するブルズ、マジック&ジャバーのレイカーズを破ってNBAの頂点に輝いている。

「私の記憶が確かなら、ジョーダンはマジック、カリーム、バードを倒していない。ジョーダンは1991年に俺たちピストンズを倒し、その後パトリック・ユーイング、チャールズ・バークレー、ショーン・ケンプ、パトリック・ユーイングを打ち負かした。これが彼の倒した顔ぶれで、彼はマジック、バード、カリームには勝っていない。1980年代に躍動していたというのは作られた話だ」

 かつてライバルを言われたジョーダンに対し、トーマスは長年NBAの顔として君臨してきたトッププレーヤーとしての自負を強く滲ませていた。

構成●ダンクシュート編集部
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