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共通点は“ニックス憎し”。ミラー&ジャクソンの“ヒール・コンビ”が誕生するまで【NBAデュオ列伝|前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.04.16

ニックスが嫌いなミラー(右)と、ニックスに捨てられたジャクソン(左)。“共通の敵”がいたことも、2人をより結束させた。(C)Getty Images

 2005年にレジー・ミラーが引退したとき、ニューヨークのバスケットボールファンは胸を撫で下ろしたはずだ。なにせ彼はニューヨーク・ニックスの最大の宿敵だった。プレーオフでは幾度となくクラッチショットを決められたあげく、「ニックスはビビリ野郎の集団さ」などと屈辱的な言葉さえ投げつけられたからである。

 そのミラーの最高の親友が、生粋のニューヨークっ子で元ニックスのマーク・ジャクソンだったのは、何とも因縁めいている。
 
■ハンデを克服したミラーと"ストリートの雄"ジャクソン

 ミラーの人生は、誕生の瞬間から逆境への挑戦だった。生まれつき足が不自由で、医者には「この子が歩けるようになるとは思えない」と宣告されていた。それでも5歳までには矯正器なしで歩けるようになり、やがてスポーツに親しむようになった。

 ミラー一家は全員スポーツが得意だった。レジーは、MLBカリフォルニア(現ロサンゼルス)・エンジェルスの捕手となった兄ダレルの影響で、まず野球を始めた。父には「ダレル以上に素質がある」とまで誉められたが、やがて彼の関心はバスケットボールへと向かっていった。

 ただ、ミラー家で最高のバスケットボール選手はレジーではなく、姉のシェリル。彼女は史上最高の女子選手とさえ言われるほどの存在であった。

「俺が試合で39点取って、鼻高々で家に帰ってきたら、姉さんは105点も取っていたんだよ」

 偉大な姉に負けないよう、ミラーは毎朝何百本もシュート練習をした。その甲斐あって、 高校生の時にはカリフォルニア州でも指折りのシューターとなっていた。

 ちょうどその頃、ミラーはニューヨークの高校との試合で、1人のポイントガードに目を奪われた。自由自在にパスを繰り出し、ゲームを完全にコントロールしていたその男こそ、ジャクソンだった。

 ジャクソンの華麗なパス回しはストリートボールで身につけたものだ。少年時代は地元の伝説的なクラブチーム、ガウチョズでプレーし、高校では市大会のアシスト記録を樹立。大学もニューヨークのセントジョンズ大に進み、4年生の時にはオールアメリカンにも選出された。
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地元球団ニックス入りに喜ぶジャクソン。一方ミラーはファンからブーイング