ミラーもUCLAで史上2位の得点記録を打ち立てたが、プロの評価は2人に対して厳しかった。1987年のドラフトではミラーが11位、ジャクソンは18位と、予想よりも低い順位での指名。インディアナ・ベイサーズは当初、11位でジャクソンを指名する約束をしていたが、当時のジャック・ラムジーHC(ヘッドコーチ)がシューターを欲しがったため、ミラーに変更されたのだった。
ジャクソンは頭にきたが、すぐにその不満は満足感が取って代わった。18位で彼を指し名したのが、地元のニックスだったからだ。
「ニックスの指名順位が近づいてきた時はドキドキしたよ。頼むからほかのチームは指名しないでくれって、強く願っていた」
ニックス・ファンも、ジャクソンを好意的に迎え入れた。これとは対照的に、インディアナのファンはミラーの指名にブーイングを浴びせた。この年NCAAトーナメントを制した、地元インディアナ大のスティーブ・アルフォードの獲得を望んでいたからだ。それを知ったミラーは、より一層やる気を燃やした。絶対に一流選手になって、ファンを見返してやろうと決意したのだ。
■逆境を跳ね返すことに闘志を燃やし続けた若手時代
ミラーはすぐに実力を証明し、ほどなくブーイングは歓声に変わった。彼の武器は、何と言っても正確なジャンプショット。美しいフォームに加え、リリースも素早く、しかもとてつもなく遠い地点からも平然と決めてみせた。
自分でシュートチャンスを作るのは苦手だったが、コートを休むことなく駆け回り、ノーマークの状態を作り出すことには長けていたミラー。2年目は先発に昇格し平均16.0点、3年目は24.6点のハイアベレージでオールスターにも選ばれた。
一方のジャクソンは、プロ入り当初の活躍はミラーをしのぐほどだった。シュート力の低さとスピードのなさを理由に、プロでの可能性に疑問を投げかける声も多かったが、ジャクソンの創造性に富んだゲームメーキング能力は、欠点を補って余りあった。
ジャクソンは頭にきたが、すぐにその不満は満足感が取って代わった。18位で彼を指し名したのが、地元のニックスだったからだ。
「ニックスの指名順位が近づいてきた時はドキドキしたよ。頼むからほかのチームは指名しないでくれって、強く願っていた」
ニックス・ファンも、ジャクソンを好意的に迎え入れた。これとは対照的に、インディアナのファンはミラーの指名にブーイングを浴びせた。この年NCAAトーナメントを制した、地元インディアナ大のスティーブ・アルフォードの獲得を望んでいたからだ。それを知ったミラーは、より一層やる気を燃やした。絶対に一流選手になって、ファンを見返してやろうと決意したのだ。
■逆境を跳ね返すことに闘志を燃やし続けた若手時代
ミラーはすぐに実力を証明し、ほどなくブーイングは歓声に変わった。彼の武器は、何と言っても正確なジャンプショット。美しいフォームに加え、リリースも素早く、しかもとてつもなく遠い地点からも平然と決めてみせた。
自分でシュートチャンスを作るのは苦手だったが、コートを休むことなく駆け回り、ノーマークの状態を作り出すことには長けていたミラー。2年目は先発に昇格し平均16.0点、3年目は24.6点のハイアベレージでオールスターにも選ばれた。
一方のジャクソンは、プロ入り当初の活躍はミラーをしのぐほどだった。シュート力の低さとスピードのなさを理由に、プロでの可能性に疑問を投げかける声も多かったが、ジャクソンの創造性に富んだゲームメーキング能力は、欠点を補って余りあった。
関連記事
- ミラー&ジャクソンが演じた“最高に魅力的な悪役”。ファンの間で永遠に語り継がれる2人のドラマ【NBAデュオ列伝|後編】<DUNKSHOOT>
- レインビア&ロッドマン――芸術的なラフプレーで他球団から恐れられた“最凶コンビ”【NBAデュオ列伝|前編】<DUNKSHOOT>
- コビー&シャック——最高のデュオにして最大のライバルが生んだ醜聞やトラブル、そして栄光【NBAデュオ列伝|前編】
- “ザ・ドリーム”オラジュワン&“グライド”ドレクスラー。ヒューストン大の名コンビがNBAで共闘するまで【NBAデュオ列伝|前編】
- バード&マクヘイル――セルティックスに黄金期をもたらした正反対な2人の“埋められない溝”【NBAデュオ列伝|前編】