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NBA

共通点は“ニックス憎し”。ミラー&ジャクソンの“ヒール・コンビ”が誕生するまで【NBAデュオ列伝|前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.04.16

 1年目から先発PG(ポイントガード)の座を射止めただけでなく、868アシストでオスカー・ロバートソン(元シンシナティ・ロイヤルズ/現サクラメント・キングスほか)の持っていた新人記録を更新。平均10.6アシストはジョン・ストックトン(元ユタ・ジャズ)、マジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)に次いでリーグ3位、平均2.5スティールも同6位だった。

 懸念された得点力も平均13.6点と合格点の数字。シュート力は確かになかったが、小柄ながら頑丈な肉体を利用し、ポストプレーで得点を重ねた。ニックスは前年より14勝も勝ち星が増加。ジャクソンは並み居る上位指名選手を尻目に、新人王の栄誉に輝いた。

 2年目には早くもオールスターに選ばれるほどの活躍ぶりだったが、華麗なパスでファンを沸かせる一方、ミスも多く、首脳陣の信頼は徐々に失われていった。やがて同じニューヨーク出身のロッド・ストリックランドやベテランのモーリス・チークスに先発の座を奪われるようになると、自分のプレーを棚に上げて首脳陣を批判。次第にチーム内でも孤立し、1992年にはロサンゼルス・クリッパーズへトレードされてしまった。

 ニューヨークを追われたのは堪えたが、再び十分な出場時間を得てジャクソンは蘇る。HCのラリー・ブラウンとの出会いも大きかった。自身も優秀なPGだったブラウンは、粘り強い指導でジャクソンの粗さを取り除いていった。

 その頃ミラーは、リーグ有数の3ポイントシューターとしての評価を固めていたが、同時にリーグ最悪のトラッシュトーカーとして悪名も高かった。彼とマッチアップする選手は、際限のないしゃべりで集中力を乱された。マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)にはパンチを見舞われ、ジョン・スタークス(元ニックスほか)にはコートの外まで追いかけ回されたが、ミラーの口が封じられることはなかった。

 もちろん敵地のファンには目の敵にされ、常にブーイングの的となった。しかし、その状況をミラーはむしろ楽しんでいた。
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