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「セルティックスでのプレーは夢だった」イタリアのガリナーリ一家とボストンをつなぐ縁<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2022.07.15

ホークスからトレードを経て、セルティックスへ移籍したガリナーリ。父をはじめ幼少期からチームのファンだったという。(C)Getty Images

 NBAは現在オフシーズン真っただ中、フリーエージェントの選手たちにとっては落ち着かない日々が続いている。

 そんななか、トレードされたあとに解雇、しかしその後「いつかプレーしたい」と願っていた球団との契約、という展開に喜びを露わにしているのが、33歳のイタリア人フォワード、ダニーロ・ガリナーリだ。

 6月30日、アトランタ・ホークスに所属していたガリナーリはデジャンテ・マレー、ジョック・ランデールとのトレードでサンアントニオ・スパーズへ移ったが、まもなく解雇。しかしその後、ボストン・セルティックスとの2年契約にこぎつけた。

 セルティックスは、同じくプロバスケットボール選手だった父を筆頭に、ガリナーリ一家が応援していた球団。本人も「早くこのジャージーを身につけたくてウズウズしているよ。セルティックスでプレーすることは、ずっと夢見ていたことだった」と喜びを語った。

 入団会見の会場には、現在63歳の父ヴィットリオの姿もあった。ヴィットリオはオリンピア・ミラノやボローニャといったイタリア国内の強豪で鳴らした元選手で、現在は代理人として活躍している。古い資料をたどると、彼はイタリアで相当人気の選手だったようだ。
 
 身長205cmながら、どんな長身の相手も苦しめたエースキラーだったヴィットリオは、仲間のために身体を張り、泥くさい仕事を買って出る、そのガッツと献身的なプレーで人気を博していたという。そのプレースタイルから「デニス・ロッドマン」と描写していた記事もあった。

 以前、本人がインタビューで語っていたところによると、彼はミラノ近郊の田舎街で生活していた15歳のある日、「君、バスケットボールをやってみないか?」と声をかけられ、生まれてから一度もやったことがなかったそのスポーツに挑戦。そこからプロで活躍するまでになったのだという。

「だから私はディフェンダーなんだ。シュートを覚えたり、テクニックを身につける時間はなかった。ひたすらディフェンスを覚え、これを自分の仕事だと思って全うした」

 ミラノでは、NBAで4シーズンプレーし、引退後に複数の球団でHC(ヘッドコーチ)を務めたマイク・ダントーニとチームメイトだった。アメリカでは選手として花開かなかったダントーニは、ルーツのあるイタリアへ渡り、そこで現在のユーロリーグにあたる欧州最高峰の舞台で2度優勝するなど大活躍した。

 ヴィットリオの息子ダニーロが、2008年のNBAドラフトで6位指名を受けてデビューしたニューヨーク・ニックスのHCが、元チームメイトのダントーニだったというのも、なんとも粋な巡り合わせだ。
 
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父はセルティックスのレジェンドを崇拝し、自身もプレーを見て研究