NBA

「話にならないようなレベルだった」。世界中を魅了した“1992年ドリームチーム”を取材した記者が当時を回想<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2022.07.31

バークレー、バード、ジョーダン、マジックなど、1992年のアメリカ代表は、まさに夢のチームだった。(C)Getty Images

 今から30年前の1992年夏、スペインのバルセロナでは、『ドリームチーム』と呼ばれた男子バスケットボールのアメリカ代表が、世界中のファンを魅了していた。

 オリンピック史上初めて、NBAの現役選手が出場したこの大会のアメリカチームには、マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、チャールズ・バークレー、カール・マローン、ジョン・ストックトン、クライド・ドレクスラー等々、のちに殿堂入りする錚々たるメンバーが集結した。

 彼らはグループリーグからクロアチアとの決勝戦までの全8試合で、平均43.75 点の点差をつけるという圧勝で、金メダルを手にした。

 ……と、そんな歴史はもはや語るまでもない、永遠に語り継がれる伝説だが、今大会で重要な役割を果たすことになった本戦直前のモナコ合宿について、現地で取材した仏『レキップ』紙のアーノルド・ルコント記者が、興味深い裏話を紹介している。

 バルセロナからも遠くない地中海沿岸のモナコは、言わずと知れたセレブの街。スター軍団アメリカ代表の合宿地として、選ばれるべくして選ばれたようなイメージがあるが、実はそうではなかった。

 きっかけを作ったのは、元フランス代表ヘッドコーチで、当時、同国のバスケットボール協会のスタッフだったピエール・ダオ。アメリカバスケ界にも広い人脈を持っていた彼は、その年、オーランドで開催されたNBAオールスターの期間中、前コミッショナーのデイビッド・スターンに「バルセロナ五輪前に、フランス代表とのテストマッチをしてはどうか?」と提案した。
 
 スターンはこの意見に賛成。会場は、通常フランス代表が国際マッチを行なうパリ市内のベルシー・アリーナ(パリ五輪でも決勝トーナメントが行なわれる会場)になるはずだった。しかし7月はバカンスシーズン真っ最中。パリジャンたちははみな旅行に出かけて、アリーナに人が集まらないかもしれない。

 そこで、集客できそうなアリーナを探し、最終的にモナコを会場にすることになった。ラグジュアリーなフェアモントホテルが宿舎にあてがわれ、7月18日、アメリカ一行はチャーター便でニース空港に到着する。

 出迎えたルコント記者は、「選手たちはみんな奥さんや子どもなど家族連れだったし、とにかくスタッフも多くてとんでもない大所帯だったのにまず驚いた」と振り返っている。

 アメリカ代表の選手たちには、1日2時間の練習以外は自由時間が与えられており、各々カジノやビーチを満喫し、リラックスムードでほとんどバカンスのようだったという。

 そのなかでジョーダンは毎日ゴルフ三昧だった。「Tシャツにキャップ、というものすごくラフな格好で毎日ゴルフバッグをかついで出掛けていった」(ルコント記者)
 
NEXT
PAGE
ルコント氏が感じたドリームチームの凄さとは?