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【NBAデュオ列伝|後編】軽率な言動への不信感、引退後に分かれた明と暗……“バッドボーイズの両頭”トーマスとデュマースの間になぜ隔たりが生じたのか<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.10.12

GMとして成功を収めたデュマース(右)。一方トーマスは指揮官としてもフロントとしても失敗続きと、引退後の2人は明暗が大きく分かれた。(C)Getty Images

GMとして成功を収めたデュマース(右)。一方トーマスは指揮官としてもフロントとしても失敗続きと、引退後の2人は明暗が大きく分かれた。(C)Getty Images

■バッドボーイズの衰退。引退後に訪れた明と暗

 しかし、ピストンズの栄華は長くは続かなかった。ジョーダン率いるシカゴ・ブルズが、その牙城を崩したのである。

 1991年のカンファレンス決勝は一方的な展開となり、ピストンズはブルズに4連敗。完膚なきまでに叩きのめされてしまった。この屈辱的な負け方が、トーマスをはじめとするピストンズのメンバーに尋常でない行動を取らせた。彼らは試合終了を待たず、ブルズの選手を祝福することもなく、コートから立ち去ったのだ。

 それでもデュマースは、スポーツマンシップを忘れていなかった。

「マイケルやブルズの連中は、悔しい思いをしていても、コートにとどまって僕らを祝福してくれた。それなのに僕らが同じことをしないのは、男らしくないじゃないか」
 
 この一件がきっかけだったわけではないが、トーマスとデュマースの間に、少しずつ溝ができはじめたのは確かだった。

 それまでにも、2人の間に波風が立ったことはあった。たとえば、1988-89シーズン途中には、デュマースにとってチームで最も近い存在だったエイドリアン・ダントリーがトレードされた。このトレードを画策したのがトーマスだということは公然の秘密だった。ダントリーはトーマスと仲が悪く、しかも交換相手のマーク・アグワイアはトーマスの親友だった。

 自分とは犬猿の仲であるジョーダンとデュマースの仲が良かったことも、トーマスの気に障った。デュマースとジョーダンはお互いに敬意を払っており、デュマースは長男をジョーダンと命名したほどである(ジョーダン少年は、のちにピストンズのボールボーイを務めたこともあった)。

 トーマスは「俺たちがブルズに勝てなくなったのは、ジョーがジョーダンの奴と馴れ合いすぎたからだ」と腹立ち紛れに口にしたこともあった。デュマースは何も言わなかったが、心中ではこのような言いがかりをつけるトーマスに不信感を抱いた。

 また、トーマスには、頭の良さに見合わぬ軽率な言動や行動をすることがしばしばあった。
 
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