シャキール・オニールとコビー・ブライアントと言えば、マイケル・ジョーダン&スコッティ・ピッペン、カール・マローン&ジョン・ストックトンらと並び、NBA史上最高のデュオのひとつに数えられる名タッグだった。
両者の間には確執があったことも周知の事実だが、2020年1月26日にヘリコプター墜落事故で急逝した元相棒ともう会えないことを改めて惜しんでいる。
シャックはオーランド・マジックでアンファニー・ハーダウェイ、マイアミ・ヒートではドゥエイン・ウェイド、クリーブランド・キャバリアーズではレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)とプレーしたが、最も支配的なデュオとしてリーグを席巻した相棒はレイカーズ時代のコビーというのが観る者の総意だろう。
レイカーズで8シーズン(1996-97~2003-04)共闘した両者は、00~02年にかけてリーグ3連覇、04年にもNBAファイナル進出を果たすなど、リーグ屈指のデュオとして鳴らした。
しかし、両者は真逆と言っていいほど異なったパーソナリティの持ち主だった。人一倍明るく楽天的な性格で、いつも仲間とふざけてばかりいるシャック。一方のコビーは、異常なまでに練習熱心で、ことバスケットボールに関しては常にシリアスで、どこか孤独を好む傾向があった。
そんな2人の間には、確執があったことも有名だ。20年1月にコビーがヘリコプター墜落事故で急逝し、追悼セレモニーのスピーチでも、「何年にもわたって複雑な関係にあった」と認めている。
ただ、その場では、「コビーと俺は、史上最高のバスケットボールをするために切磋琢磨し合った。時には未熟な子どものように主張し合い、喧嘩し、思うがままの言葉で互いに罵倒し、侮辱していた。でも、間違いなく、世間が俺たちに確執があると思っていた時でさえ、テレビの裏側ではお互いにウインクをして、示し合わせていた」と語り、単に仲違いしていたわけではないことに触れていた。
来年1月にコビーの三回忌を迎えるなか、シャックは米誌『PEOPLE』のインタビューで、元相棒があの世に旅立ってしまった寂しさについて改めて語っている。
「レイカーズ50周年で会うか、お互いに年を取ると思っていた。でも、今はそれが叶わないことが分かる。コビーと連絡を取ることよりも重要なことはなかったが、些細なことが邪魔をした」
シャックが最も悔やんだのが、取れるべきタイミングでの連絡を怠ったことだ。
「俺は連絡を取るのを先延ばしにした。もう2度とコビーに会うことはできない。永遠にだ。お互いに電話すべきだった。だけど、彼も、俺も忙しなかったし、またでいいかと思っていた。母親に連絡を取るべきだし、兄弟に連絡を取るべきだ。永遠はあまりに長い時間だからね」
20年12月の『ESPN』のインタビューで、「次のシャック&コビーは決して生まれない。俺たちのレガシーと同じものは決して存在しない」と語っていたシャック。時が経てば経つほど、当時の後悔の念は強まっていくのかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
両者の間には確執があったことも周知の事実だが、2020年1月26日にヘリコプター墜落事故で急逝した元相棒ともう会えないことを改めて惜しんでいる。
シャックはオーランド・マジックでアンファニー・ハーダウェイ、マイアミ・ヒートではドゥエイン・ウェイド、クリーブランド・キャバリアーズではレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)とプレーしたが、最も支配的なデュオとしてリーグを席巻した相棒はレイカーズ時代のコビーというのが観る者の総意だろう。
レイカーズで8シーズン(1996-97~2003-04)共闘した両者は、00~02年にかけてリーグ3連覇、04年にもNBAファイナル進出を果たすなど、リーグ屈指のデュオとして鳴らした。
しかし、両者は真逆と言っていいほど異なったパーソナリティの持ち主だった。人一倍明るく楽天的な性格で、いつも仲間とふざけてばかりいるシャック。一方のコビーは、異常なまでに練習熱心で、ことバスケットボールに関しては常にシリアスで、どこか孤独を好む傾向があった。
そんな2人の間には、確執があったことも有名だ。20年1月にコビーがヘリコプター墜落事故で急逝し、追悼セレモニーのスピーチでも、「何年にもわたって複雑な関係にあった」と認めている。
ただ、その場では、「コビーと俺は、史上最高のバスケットボールをするために切磋琢磨し合った。時には未熟な子どものように主張し合い、喧嘩し、思うがままの言葉で互いに罵倒し、侮辱していた。でも、間違いなく、世間が俺たちに確執があると思っていた時でさえ、テレビの裏側ではお互いにウインクをして、示し合わせていた」と語り、単に仲違いしていたわけではないことに触れていた。
来年1月にコビーの三回忌を迎えるなか、シャックは米誌『PEOPLE』のインタビューで、元相棒があの世に旅立ってしまった寂しさについて改めて語っている。
「レイカーズ50周年で会うか、お互いに年を取ると思っていた。でも、今はそれが叶わないことが分かる。コビーと連絡を取ることよりも重要なことはなかったが、些細なことが邪魔をした」
シャックが最も悔やんだのが、取れるべきタイミングでの連絡を怠ったことだ。
「俺は連絡を取るのを先延ばしにした。もう2度とコビーに会うことはできない。永遠にだ。お互いに電話すべきだった。だけど、彼も、俺も忙しなかったし、またでいいかと思っていた。母親に連絡を取るべきだし、兄弟に連絡を取るべきだ。永遠はあまりに長い時間だからね」
20年12月の『ESPN』のインタビューで、「次のシャック&コビーは決して生まれない。俺たちのレガシーと同じものは決して存在しない」と語っていたシャック。時が経てば経つほど、当時の後悔の念は強まっていくのかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
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