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NBA

【NBAデュオ列伝|後編】ドクターJ&マローン――華麗な技と不屈の努力で全米に旋風を巻き起こしたABA最強コンビ<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.11.28

ともにABAのスターだったドクターJ(左)とマローン(右)。悲願のNBA制覇を成し遂げた1983年の76ersは球史に残る強さを誇った。(C)Getty Images

ともにABAのスターだったドクターJ(左)とマローン(右)。悲願のNBA制覇を成し遂げた1983年の76ersは球史に残る強さを誇った。(C)Getty Images

 ドクターJ(ジュリアス・アービング)やモーゼス・マローン以外にも、ジョージ・ガービン、デイビッド・トンプソンら実力派選手が多数プレーしていたABAだったが、慢性的な財政難を解消できず、76年にNBAとの統合に合意。その際ドクターJは、リーグ加盟金の捻出を迫られたネッツからフィラデルフィア・セブンティシクサーズへ、300万ドルもの巨額のトレード・マネーで移籍した。 

 マローンは分配ドラフトによってポートランドに指名された後、バッファロー・ブレーブス(現ロサンゼルス・クリッパーズ)を経てヒューストン・ロケッツへトレードされた。

 シクサーズ加入後、ドクターJの成績は下がったが、これは当時のチームがリーグ有数のタレントの宝庫であるせいだった。その証拠に、この年シクサーズは10年ぶりにNBAファイナルへ進出。 ポートランド・トレイルブレイザーズに敗れたものの、ドクターJがいる限り、近い将来必ずNBAの頂点に立つ日が来ると予見できた。
 
 一方のマローンも、ロケッツ移籍後リーグ3位の平均13.1リバウンドを記録。マローンの疲れを知らぬプレーぶりを、のちにロケッツのヘッドコーチとなったデル・ハリスは、「普通の選手は1試合で50回リバウンドに跳んで10本ぐらい取るものだが、 モーゼスは1試合に100回跳んで20本取るんだ」と表現した。マローンは年を追うごとにゴール下での支配力を増していき、78−79シーズンには平均24.8点、リーグ1位の17.6リバウンドをマークし、ついにMVPを獲得した。

 ドクターJは80年、再びNBAファイナルの舞台へ戻ってきた。ロサンゼルス・レイカーズとの第4戦ではベースラインからジャンプし、空中でディフェンスをかわしながらボード裏からレイアップを沈める伝説的なプレーを披露したが、6戦で敗退。翌80-81シーズン、平均24.6点をあげてNBAでは初のMVPを受賞するが、カンファレンス・ファイナルでボストン・セルティックスに敗れた。NBAの王座は近いようでいて遠いままであった。

 この年、セルティックスとNBAファイナルを戦ったのがマローンのロケッツだった。第4戦まで2勝2敗と互角の勝負をしていたが、マローンが 「セルティックスなんて、俺の田舎のストリートバスケの連中を連れてきたって勝てるさ」と失言したのが災いし、第5、6戦に連敗して敗れ去った。
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