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ジョーダンとオラジュワンに行く手を阻まれた、偉大なる無冠の帝王ユーイング【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2023.03.16

1994年に初めてファイナルに駒を進めたが、大学時代の宿敵オラジュワン率いるロケッツに惜敗。これがユーイングにとってキャリアで唯一のファイナル出場となった。(C)Getty Images

2人のライバルに阻まれた栄冠へのチャンス

 ユーイングの成長にともない、ニックスの成績も上昇カーブを描いた。とりわけ91-92シーズン、元ロサンゼルス・レイカーズのパット・ライリーをヘッドコーチに招聘し、ディフェンスを強化してからは地区首位の常連となる。92-93シーズンは球団タイ記録の60勝を記録した。

 92年にはドリームチームの一員として2度目のオリンピック出場と金メダル獲得を果たしたユーイングだが、NBAファイナルには進めないままでいた。マイケル・ジョーダンとシカゴ・ブルズをどうしても打ち倒せなかったためだ。何しろ当時のジョーダンは、選手としてまさに脂が乗り切っている時期。史上最高の選手が率いるチームを相手にニックスも必死に戦ったが、空しく跳ね返され続けた。89年と92年はカンファレンス準決勝、91年は1回戦、93年はカンファレンス決勝でブルズに屈した。

 ジョーダンが突然現役を引退した93-94シーズン、ついにチャンスが巡ってきた。一時代を築いたセルティックスやデトロイト・ピストンズはすでに衰退し、シャーロット・ホーネッツやオーランド・マジックら新興勢力はまだ戦力が整っていなかった。これに対してニックスは、ユーイングを中心にチャールズ・オークレーやジョン・スタークスら個性的なキャラクターをライリーがしっかりと束ね、最高の状態にあった。
 
 93-94シーズンはプレーオフで宿敵ブルズ、次いでインディアナ・ペイサーズを下し、念願のファイナル進出を果たす。対戦相手はアキーム・オラジュワン率いるヒューストン・ロケッツ。大学時代以来、10年ぶりに宿命のライバルによる頂上決戦が実現した。

 一進一退の戦いは第7戦までもつれたが、最後に笑ったのはロケッツだった。ユーイングはシリーズを通じて、オラジュワンに抑え込まれてオフェンスが不調。平均18.9点はともかく、フィールドゴール成功率は36.3%にとどまった。リバウンドは第1戦以外すべて2桁を記録、第5戦の8本を最高として30ブロックを決めたものの、平均26.9点、9.1リバウンドをマークしたオラジュワンを止められなかった。 ユーイングの敗戦の弁は短いものだった。「俺たちは負けた。ただそれだけさ」

 ユーイングのファイナル出場はこれが唯一の機会だった。その後もNBAを代表するセンターとして活躍したが、ジョーダンの復帰したブルズやペイサーズ、ライリーが指揮するマイアミ・ヒートに阻まれた。

 98-99シーズン、ニックスはプレーオフ第8シードから勝ち上がってのファイナル進出という史上初の快挙をやってのけたが、アキレス腱を痛めたユーイングはファイナルでは1試合もプレーできなかった。