コビー・ブライアントはロサンゼルス・レイカーズ一筋20年を過ごした現役時代、常に最高の自分を追い求める"マンバ・メンタリティ"のもと、数々の輝かしい功績を残した。多くの選手が彼に憧れて高みを目指したなか、そのうちの1人で7歳年下にあたるショーン・リビングストンが、ルーキー時代に味わった"洗礼"を回想している。
2004年のドラフト全体4位指名でNBA入りしたリビングストンは、身長201cmの大型ポイントガードで、学生時代は"マジック・ジョンソンの再来"とも言われた。しかし、3年目の07年2月に左ヒザの前十字靭帯、後十字靭帯、内側側副靱帯を断裂する重傷を負い、翌07-08シーズンを全休。
復帰後も期待された成績を収められない時期が続いたが、2014年に自身9チーム目となるゴールデンステイト・ウォリアーズへの加入が転機となった。新天地では、主にステフィン・カリーのバックアップとして15、17、18年と計3回のリーグ優勝を経験した。
高精度のミドルジャンパー、堅実なディフェンスでプロ15年間を戦い抜いたリビングストン。ルーキーイヤーの19歳当時、「Welcome to NBA(ようこそNBAへ)」の"洗礼"を受けた相手が、スーパースターのコビーだった。
元NBA選手のスティーブン・ジャクソンとマット・バーンズがホストを務める人気ポッドキャスト『All The Smoke』に出演したリビングストンは、コビーにテストされている感覚だったと当時を振り返った。
「リーグに入った時、彼に問い詰められたのを覚えている。『ヘイ、ルーキー。お前はバスケットボールが好きなのか?』ってね。僕が真のバスケットボールプレーヤーなのか、それとも単にNBA選手になりたかっただけなのか、見極めようとしていたんだ。僕は静かに、『ああ、好きだよ。でも、まだルーキーイヤーだから……』って答えたんだ」
その後、コビーとマッチアップした際に「僕を本物(のバスケットプレーヤー)だと感じてくれた」と思った瞬間があったという。
「コビーをガードしたことを覚えている。コートに立って、ディフェンスで自分の名を残せた瞬間だった。だが彼のカウンターは凄かった。僕の上から左手でフェイダウェイを打ったんだ。リスペクトに欠けると思わないかい? NBAの試合でそれを試そうとするんだからね(笑)」
この時のリビングストンにとっては屈辱的なプレーとなったが、2015年1月のニューオリンズ・ペリカンズ戦で右肩を痛めたコビーは左手でターンアラウンド・フェイダウェイを決めるという離れ業をやってのけている。常に自分の技術を高めることを考え、ゴールを奪うことに心血を注いだ"マンバ・メンタリティ"ならではのプレーと言えるだろう。
勝利に貪欲で、容赦ないコビーの振る舞いは、当時から19年が経過した今なお、リビングストンの記憶に深く刻まれている。
構成●ダンクシュート編集部
2004年のドラフト全体4位指名でNBA入りしたリビングストンは、身長201cmの大型ポイントガードで、学生時代は"マジック・ジョンソンの再来"とも言われた。しかし、3年目の07年2月に左ヒザの前十字靭帯、後十字靭帯、内側側副靱帯を断裂する重傷を負い、翌07-08シーズンを全休。
復帰後も期待された成績を収められない時期が続いたが、2014年に自身9チーム目となるゴールデンステイト・ウォリアーズへの加入が転機となった。新天地では、主にステフィン・カリーのバックアップとして15、17、18年と計3回のリーグ優勝を経験した。
高精度のミドルジャンパー、堅実なディフェンスでプロ15年間を戦い抜いたリビングストン。ルーキーイヤーの19歳当時、「Welcome to NBA(ようこそNBAへ)」の"洗礼"を受けた相手が、スーパースターのコビーだった。
元NBA選手のスティーブン・ジャクソンとマット・バーンズがホストを務める人気ポッドキャスト『All The Smoke』に出演したリビングストンは、コビーにテストされている感覚だったと当時を振り返った。
「リーグに入った時、彼に問い詰められたのを覚えている。『ヘイ、ルーキー。お前はバスケットボールが好きなのか?』ってね。僕が真のバスケットボールプレーヤーなのか、それとも単にNBA選手になりたかっただけなのか、見極めようとしていたんだ。僕は静かに、『ああ、好きだよ。でも、まだルーキーイヤーだから……』って答えたんだ」
その後、コビーとマッチアップした際に「僕を本物(のバスケットプレーヤー)だと感じてくれた」と思った瞬間があったという。
「コビーをガードしたことを覚えている。コートに立って、ディフェンスで自分の名を残せた瞬間だった。だが彼のカウンターは凄かった。僕の上から左手でフェイダウェイを打ったんだ。リスペクトに欠けると思わないかい? NBAの試合でそれを試そうとするんだからね(笑)」
この時のリビングストンにとっては屈辱的なプレーとなったが、2015年1月のニューオリンズ・ペリカンズ戦で右肩を痛めたコビーは左手でターンアラウンド・フェイダウェイを決めるという離れ業をやってのけている。常に自分の技術を高めることを考え、ゴールを奪うことに心血を注いだ"マンバ・メンタリティ"ならではのプレーと言えるだろう。
勝利に貪欲で、容赦ないコビーの振る舞いは、当時から19年が経過した今なお、リビングストンの記憶に深く刻まれている。
構成●ダンクシュート編集部
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