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NBA

「彼に対してきつく当たっていた」ヒート球団社長がウェイドとの過去を回想「我々の関係は永遠に切れない」<DUNKSHOOT>

秋山裕之

2023.08.09

現在はヒートの球団社長を務めるライリー(左)が、チームに3度の優勝をもたらしたウェイド(右)について語った。(C)Getty Images

現在はヒートの球団社長を務めるライリー(左)が、チームに3度の優勝をもたらしたウェイド(右)について語った。(C)Getty Images

 今年バスケットボール殿堂入りするドゥエイン・ウェイド(元マイアミ・ヒートほか)は、キャリア16シーズンで計1054試合に出場し平均22.0点、4.7リバウンド、5.4アシスト、1.5スティールを残した。

 193㎝・100㎏という屈強な肉体に超人的なクイックネスと身体能力を兼備したウェイドは、ビッグマン越しの豪快なダンクをはじめ、数多くのハイライトシーンを生み出してきた。

 キャリアで15シーズンをプレーしたヒートでは、2006年にフランチャイズ史上初のチャンピオンシップをもたらし、24歳でファイナルMVPも獲得。

 2010年にレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)、クリス・ボッシュとビッグ3を結成すると、チームは4年連続でイースタン・カンファレンスを制し、2012、2013年に2連覇も達成。ファイナルMVPに輝いたのはいずれもレブロンだったが、チームの屋台骨は紛れもなくウェイドだった。

 8月8日(日本時間9日、日付は以下同)、1995年から2008年までヒートで指揮を執り、現在は球団社長を務めているパット・ライリーのインタビューが『South Florida Sun-Sentinel』に公開された。

 ウェイドは2016年のオフにヒートを離れ、故郷球団のシカゴ・ブルズと契約。翌2017年にはクリーブランド・キャバリアーズでレブロンと共闘も、2018年2月に古巣ヒートへトレード。そこから1シーズン半をプレーしてNBAキャリアに幕を下ろした。

 2016年にウェイドがマイアミを離れた時のことをライリーはこう振り返る。

「彼がいなくなった時、とても辛い気持ちになったし悲しかった。気が動転していたんだ。我々(自身とミッキー・アリソン オーナー)は引き留めることができたかもしれなかったが、そうはならなかった」
 
 ウェイドにとって、ヒートにおけるキャリア第2章(2018、19)は主にシックスマンとしての起用だったが、持ち前の勝負強さやリーダーシップを存分に発揮。現役最後のホームゲームでゲームハイの30得点、そしてラストゲームではトリプルダブルをマークするなどスター性は健在で、背番号3は文句なしで永久欠番となった。

「彼が『マイアミへ戻りたい』と言ってきた時、私は喜んで歓迎した。そして我々は彼を呼び戻し、素晴らしいシーズンを送り、見事な引退を迎えることができた。そしてジャージーを(アリーナへ)掲げることになった」とライリー。

 今でこそ、ヒートを代表する人物となったライリーとウェイド。しかし、そこに至るまでにはいくつもの過程があったという。

「コーチとして、私は彼に対してすごく激しく駆り立てていた。きつく当たっていたんだ。彼のことは大好きだ。(だが)私たちは言い争いもしてきた。彼にはわかっていたのさ。私が彼のことを素晴らしい選手だと見なし、チャンピオンシップ獲得へと導く男となるべくプッシュするんだとね。当時の彼は我々のベストプレーヤーだったんだ」

 現在のウェイドはロサンゼルスを拠点にビジネスマンとして活動しているが、ライリーは「我々の関係は永遠に、切っても切れないものなんだ」と語っていた。

文●秋山裕之(フリーライター)

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