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怒りをパワーに変え、スターダムにのし上がった気高き鳥人ドレクスラー【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2023.10.05

1995年にトレードでロケッツへ移籍。ヒューストン大で共闘したオラジュワンと(左)再びタッグを結成し、加入初年度に悲願の優勝を成し遂げた。(C)Getty Imag移籍

 ドレクスラーの成長の源は、ドラフト指名時の低評価に対する反発だった。チームメイトのジェローム・カーシー曰く「あいつは頭に来ている時が一番いいんだ。普通なら、そんな精神状態ではまともにプレーできないけど、クライドは違う。一旦怒りのスイッチが入ったら、もう誰にも止められない」

 ラムジーに代わってヘッドコーチとなったマイク・シュラーとの関係が円滑でなかったことも、闘志を駆り立てる材料となった。

 88-89シーズンの平均27.2点は、その後長く球団記録として残った。オールスターにも毎年のように選ばれ、90年にはファイナルに進出。もはや誰もが認めるスーパースターとなった。

 けれども、そうした状況は彼の性に合ったものではなかった。控え目でプライバシーを重んじ、「自分自身や家族の話をするのは好きじゃない」と常々言っていた。暇な時間があれば読書や外国語の学習に充てるなど、スターらしからぬ、華やかさとは無縁の生活を送っていた。

 こうした性格はともすれば欲のなさ、執着心の薄さとも受け取られ、それを試合における勝負弱さと結びつける者もいた。その印象を強めてしまったのが、92年に2度目のファイナル進出を果たし、ブルズと対戦する直前の話だった。
 
「もちろん優勝したいが、その思いにとりつかれているというわけではない。勝てなかったとしても、私が成し遂げたことが消えてなくなりはしない」

 練習ですらチームメイトを打ち負かす勢いで臨むジョーダンとの差は明白で、"ジョーダンvsドレクスラー"と喧伝されたファイナルでは、ジョーダンに完膚なきまでに叩きのめされてしまった。

 1か月後のドリームチームの合宿でも、ジョーダンはドレクスラーに対し、執拗にファイナルをネタにトラッシュトークを仕掛けてきた。見かねたマジック・ジョンソンが「オリンピック前にヤツの自信を失わせるなよ」と取りなしたが、すでにドレクスラーのプライドは打ち砕かれていた。続く2シーズンは平均得点が10点台に転落し、すでにピークを過ぎたと見られるようになっていた。 

■ロケッツ移籍で 悲願の優勝を達成 

 95年2月、ついにドレクスラーは11年半在籍したブレイザーズを離れる。移籍先は前年のリーグ王者であり、大学時代からの親友オラジュワンの在籍するロケッツだった。愛着のあるポートランドに別れを告げるのは寂しさもあったが、故郷に戻れる喜びの方が勝っていた。「試合をするのが待ち切れないよ。アキームと一緒にブレーする夢も叶った」とドレクスラーは満面の笑みを浮かべた。
 
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ファイナルMVPはオラジュワンだったが「この勝利は君のためのもの」