デイミアン・リラード、CJ・マッカラムというバックコートデュオを中心に、昨季まで7年連続でプレーオフへ出場しているポートランド・トレイルブレイザーズ。
1970年に創設されたチームは1983年から2003年まで、21年連続でプレーオフに出場。NBAファイナルには3度(77、90、92年)勝ち進んでおり、77年にはビル・ウォルトンを中心とした布陣でプレーオフ初出場を果たし、いきなりチャンピオンに輝いている。
ここ数年はオールスターの常連となり、オールNBAチームにも選ばれているリラードがフランチャイズプレーヤーと称されているが、ブレイザーズで最も多くのフランチャイズ最多記録を保持するのはクライド・ドレクスラーだ。
83年のドラフト1巡目14位でブレイザーズから指名されたシューティングガードは、“クライド・ザ・グライド”という異名の通り、コートを滑空して優雅な空中遊泳からダンクやフィンガーロール、ヒザのバネだけで跳び上がってから放つジャンパーなどを武器に点を量産。
ドレクスラーは201㎝・95㎏という均整の取れた肉体でリバウンドやアシスト、スティールも奪い、約12年間の在籍でオールスターに8回、オールNBAチーム選出4回を誇った名選手だった。
ブレイザーズ時代に残した1万8040点、867試合出場、出場時間2万9496分、1795スティールはいずれもチーム史上トップであり、90、92年にはファイナル進出に導いている。
だが95年2月14日、ドレクスラーはトレイシー・マレーとともにヒューストン・ロケッツへ電撃トレード。代わりにオーティス・ソープらがブレイザーズへと移籍することとなった。
ロケッツでヒューストン大時代のチームメイト、アキーム・オラジュワンとデュオを再結成したドレクスラーは新天地で水を得た魚のように暴れ回り、95年の優勝に大きく貢献。ロケッツには約4シーズン所属し、1997-98シーズン終了後に引退した。
だが今年の10月25日に公開されたジェームズ・ポージーのポッドキャスト番組「The Posecast」へゲスト出演したドレクスラーは、ブレイザーズから離れたことについてこう明かしていた。
「私がポートランドを離れた唯一の理由。それはあのチームが再建を始めたからだった。私たちはあのチームで素晴らしいシーズンを何度も送ってきたが、私が何度かヒザを負傷してしまい、彼らはちょっと早すぎるタイミングで諦めてしまったんだ」
1970年に創設されたチームは1983年から2003年まで、21年連続でプレーオフに出場。NBAファイナルには3度(77、90、92年)勝ち進んでおり、77年にはビル・ウォルトンを中心とした布陣でプレーオフ初出場を果たし、いきなりチャンピオンに輝いている。
ここ数年はオールスターの常連となり、オールNBAチームにも選ばれているリラードがフランチャイズプレーヤーと称されているが、ブレイザーズで最も多くのフランチャイズ最多記録を保持するのはクライド・ドレクスラーだ。
83年のドラフト1巡目14位でブレイザーズから指名されたシューティングガードは、“クライド・ザ・グライド”という異名の通り、コートを滑空して優雅な空中遊泳からダンクやフィンガーロール、ヒザのバネだけで跳び上がってから放つジャンパーなどを武器に点を量産。
ドレクスラーは201㎝・95㎏という均整の取れた肉体でリバウンドやアシスト、スティールも奪い、約12年間の在籍でオールスターに8回、オールNBAチーム選出4回を誇った名選手だった。
ブレイザーズ時代に残した1万8040点、867試合出場、出場時間2万9496分、1795スティールはいずれもチーム史上トップであり、90、92年にはファイナル進出に導いている。
だが95年2月14日、ドレクスラーはトレイシー・マレーとともにヒューストン・ロケッツへ電撃トレード。代わりにオーティス・ソープらがブレイザーズへと移籍することとなった。
ロケッツでヒューストン大時代のチームメイト、アキーム・オラジュワンとデュオを再結成したドレクスラーは新天地で水を得た魚のように暴れ回り、95年の優勝に大きく貢献。ロケッツには約4シーズン所属し、1997-98シーズン終了後に引退した。
だが今年の10月25日に公開されたジェームズ・ポージーのポッドキャスト番組「The Posecast」へゲスト出演したドレクスラーは、ブレイザーズから離れたことについてこう明かしていた。
「私がポートランドを離れた唯一の理由。それはあのチームが再建を始めたからだった。私たちはあのチームで素晴らしいシーズンを何度も送ってきたが、私が何度かヒザを負傷してしまい、彼らはちょっと早すぎるタイミングで諦めてしまったんだ」