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「比類なき多才なSFだ」名手マジックが“ドリームチーム”で共闘したピッペンを称賛「一緒にプレーできたことに感謝」<DUNKSHOOT>

ダンクシュート編集部

2024.01.17

ピッペン(左)とマジック(右)は1991年のファイナルで対戦。翌年のバルセロナ五輪ではドリームチームの一員として一緒にプレーした。(C)Getty Images

 シカゴ・ブルズで2度の3連覇に貢献したスコッティ・ピッペンは、フランチャイズの歴史を通して特別な貢献をした過去の選手たちやコーチ陣、フロントオフィスで尽力した者たちを表彰して称える「リング・オブ・オナー」に選出された。殿堂入りしている名ポイントガードのマジック・ジョンソンも、祝福と称賛の言葉を述べている。

 1987年のドラフト全体5位指名でNBA入りしたピッペンは、トレードを経てブルズでプロキャリアをスタート。2年目の88-89シーズンからレギュラーに定着すると、マイケル・ジョーダンの相棒としての地位を築く。91~93年にフランチャイズ初優勝を含む3連覇を果たすと、ジョーダンが最初の現役引退をした93-94シーズンは平均22.0点、8.7リバウンド、5.6アシスト、2.9スティールの成績で新エースに君臨した。

 その後、95年3月にジョーダンが復帰し、リバウンドマシンのデニス・ロッドマンが加入した95-96シーズンからブルズは再び3連覇を達成。チーム解体後はヒューストン・ロケッツ、ポートランド・トレイルブレイザーズでプレーし、古巣ブルズで1シーズンプレーしたのち、2004年10月に現役を引退した。
 
 通算1178試合に出場して、リーグ優勝6回、オールNBA1stチーム3回、オールディフェンシブ1stチーム8回、オールスター出場7回、NBA50周年記念オールタイムチームとNBA75周年記念チームに選出。1992年のバルセロナ五輪と96年のアトランタ五輪ではアメリカ代表の一員として金メダルを獲得し、殿堂入りも果たした。

 NBAタイトルと五輪金メダルを同年に2回獲得した唯一の選手であるピッペンは、ブルズから「リング・オブ・オナー」として表彰されたが、91年のNBAファイナルでブルズと激突し、92年のバルセロナ五輪では"ドリームチーム"でチームメイトだったマジックが特設サイトのエッセイで称賛している。

「スコッティ・ピッペンは攻守に支配的で、ドリブルやジャンプショットでも知られる、比類なき多才なスモールフォワードだ。1990年代のシカゴ・ブルズで王朝を築いたフィル・ジャクソンの"トライアングル・オフェンス"で重要な役割を果たした。ゲームのあらゆる分野でダイナミックだった。

 1992年のドリームチームでスコッティと一緒にプレーできたことに感謝している。プレー自体は知っていたが、それ以上に彼の仕事に対する姿勢、献身性、チームメイトをより良くする能力に感銘を受けた。スコッティはアンセルフィッシュで情熱とハートを持ってプレーしていた。オリンピックでの金メダル獲得に不可欠な選手であり、彼がいなかったらあれほどのエネルギーは発揮できなかっただろう」
 
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