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NBA

「ブレイザーズには魂があまり感じられなかった」ジョーダン&ドレクスラーが語る1992年ファイナルの舞台裏

北舘洋一郎

2019.12.22

同じSGポジションのライバルとして、90年代のNBAでしのぎを削ったジョーダン(左)とドレクスラー(右)。(C)Getty Images

同じSGポジションのライバルとして、90年代のNBAでしのぎを削ったジョーダン(左)とドレクスラー(右)。(C)Getty Images

 “神様”マイケル・ジョーダンを、同じシューティングガードのポジションで最も苦しめたスーパースターがクライド・ドレクスラーだ。

 ドレクスラーはジョーダンより1年前の1983年ドラフトで、1巡目14位指名を受けポートランド・トレイルブレイザーズに入団。ルーキーシーズンから“頭角を現わした”とまでは言えなかったが、2年目以降は迫力満点のスラムダンクを武器に、機動力のあるプレーで一躍スタープレイヤーへと成長を遂げた。

 その後、長きにわたってリーグのトップスコアラーの座に君臨し続けたが、現在57歳となるドレクスラーは当時をこう振り返る。

「カレッジからプロの舞台に移って、身体能力にはそこそこ自信のあった私ですら、フィジカルで負けていると感じることがほとんどだった。高校時代からダンクだけは自分の一番得意なプレーだったから、力でリムにボールを押し込めないという現実は悔しさしかなかったね。だから、ルーキーシーズンはとにかく走りこみを徹底した。オールコートでシャトルランをしながらボールをもらってダンク。これを30分ずっと続ける練習を毎日やったよ。“走って跳んで”を繰り返し鍛えることで、NBAレベルのフィジカルを養ったんだ」
 
 当時のNBAでは、ベテラン選手が新人にシュート機会を譲ることなどなかったそうだ。どれだけ鳴物入りで入団した大物ルーキーでも、まずは先輩チームメイトからの厳しい洗礼を受けるのが普通だったという。

「正直、ルーキーシーズンは他所様のチームの練習に毎日参加している感覚だった。そんな時に、当時のブレイザーズの超ベテランスターだったビル・ウォルトンからこう言われたんだ。『チームでの居場所は自分でつかむもの。そこまでは必死にバスケットボールに対して努力すること。スターターの座を手にしたら、今度は頭を使ってバスケに取り組み、ケガをしないようほどほどに練習に参加する。そして練習前にコートサイドに行って、新聞を欠かさず読むこと。新聞を読まないとバスケは上手くならないぞ』とね。私はなるほど、と思い、次の日から引退するまでそれをずっと続けていたよ」とドレクスラーは回顧する。
 
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