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NBA

「ブレイザーズには魂があまり感じられなかった」ジョーダン&ドレクスラーが語る1992年ファイナルの舞台裏

北舘洋一郎

2019.12.22

ともにアメリカ代表としてバルセロナ五輪に参加したが、ほとんど会話はなかったという。(C)Getty Images

ともにアメリカ代表としてバルセロナ五輪に参加したが、ほとんど会話はなかったという。(C)Getty Images

 結果は4勝2敗でジョーダンが2度目の優勝を手にすることになるが、ドレクスラーは敗退の理由をこう語っている。

「ちょっとしたボタンの掛け違えがあった。ブルズの方がチーム内でもコミュニケーションが取れていたし、我々は試合の肝心な場面で集中力を失う場面が多く、悔しさが大きく残る敗戦だったよ」

 また、ジョーダンは「勝利に向かって全身全霊でプレーしないチームメイトがいれば、俺は罵倒してでも同じ船に乗せようとしていた。それがどんどん束ねられてブルズは強くなっていったんだ。ところが、ブレイザーズにはそういう魂があまり強く感じられなかった。まとまっていない雰囲気はレギュラーシーズンからあったね。だからこそ“ドレクスラーさえ崩せば勝機はブルズにやってくる”と信じて、俺は彼とマッチアップしていた」と語る。
 
 ドレクスラーは「この敗退で、ブレイザーズは崩壊へと向かい始めたんだ。チームは新しい道を探るようになり、自分が必要とされていないように感じた。優勝を逃した日からヒューストン・ロケッツに移籍する94-95シーズン途中まで、ブレイザーズでのプレーはキャリアのなかでも一番厳しいと感じていたよ。だからロケッツのオーナーからオファーをもらった時には、ふたつ返事で移籍を決めたんだ」と話す。

 84年のドラフトで、ブレイザーズは2位指名権を持ちながらジョーダンを指名せず、216cmのサイズを誇るセンター、サム・ブーイを指名。ジョーダンは当時を振り返って、ジョークで「ブレイザーズに指名されなくてよかった」と語っている。

 また、ドレクスラーも「バルセロナ五輪でジョーダンと一緒にドリームチームに参加したが、お互いにあまり話すことがなかったのも仕方がないだろう。ライバルとしてファイナルを戦った直後だったしね」と発言。数多の死闘を繰り広げ、お互い譲らない姿勢は、引退後の現在でも続いているようだ。

文●北舘洋一郎

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