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NBA

殿堂入りPGのストックトン、そして八村塁らを輩出したゴンザガ大の歴史【名門カレッジ史】

出野哲也

2019.12.20

ゴンザガ大出身のトップランナーはストックトン。八村は同大で3年間プレーし、チームをNCAAトーナメント出場に導いた。(C)Getty Images

ゴンザガ大出身のトップランナーはストックトン。八村は同大で3年間プレーし、チームをNCAAトーナメント出場に導いた。(C)Getty Images

 21年連続でNCAAトーナメント(以下トーナメント)に出場し、今ではカレッジバスケ界の強豪校として認知されているゴンザガ大。八村塁が在学していた頃には、日本でも試合がテレビ中継されて大きな注目を集めていた。

 だが、こういった評価を受け始めたのはここ20年くらいの話で、NBAデビューを果たしたOBもまだ20人。第1号となったジョン・ストックトンが1984年のドラフトで指名された時は、選手も学校も両方無名で「ストックトン大のゴンザガ選手」と誤解されたという逸話まであるほど、チームの認知度は低く実績も乏しかった。

 ワシントン州スポケーンという地方都市にあるゴンザカ大に、バスケットボール部(通称はブルドッグスだが、学校名の由来である〝ザグス〞と呼ばれることが多い)が誕生したのは1907年。ただ、創設から長い間スターと呼べる選手は現われなかった。

 そんななか、58年に入学したフランク・バージェスは1年時からエースとして活躍し、学校記録となる通算2196点をマーク。61年には平均32.4点でディビジョンⅠの得点王となり、オール・アメリカン2ndチームにも選出されている。その年のドラフト3巡目27位でレイカーズに指名されたが、誘いを断り当時存在したABLというリーグのハワイ・チーフスに入団。同リーグが解散した後は大学に戻って法律の道に進み、最終的にワシントン州の連邦地方裁判所判事を務めた。
 
 また、バージェスが指名を受ける1年前の60年には、フランス代表メンバーでもあったクロード・ルフェーブルが同大初のドラフト指名をされたが(ロサンゼルス・レイカーズ/9巡目64位)、こちらもNBAではプレーしなかった。
 
 67年は20勝6敗の好成績をマークし、所属するビッグスカイ・カンファレンスで優勝を果たす。しかし注目度の低いアメリカ北西部のカンファレンスを制したところで、世間からの称賛はほとんど浴びず。79年にウエストコースト・アスレティック(現ウエスト・コースト)・カンファレンスへ移ってからも、その状況は変わらなかった。

 地元のゴンザガ高を卒業したストックトンが入学したのは80年。奨学金のオファーがあったのは3校のみと前評判は低かったが、年々成長を続け4年時にはカンファレンスMVPを受賞。通算1000得点&500アシストを記録した同大初の選手となった。
 
 84年にはロサンゼルス五輪の代表チーム選考合宿にも参加し、同年のドラフトでは1巡目16位でジャズから指名を受ける。ただ世間的にはほとんど無名だったため、ファンからは歓声もブーイングも上がらなかったという。

 NBA入り後も最初の3年は控えポイントガードとしての起用がメインだったが、先発に定着した87-88シーズンに才能が開花。平均13.8本をマークしアシスト王に輝くと、96年までその座を譲ることはなかった。また89、92年はスティール王とのダブル受賞を果たしており、現在もこの両部門の通算記録のトップには彼の名前が刻まれている。
 

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