現地時間1月25日(日本時間26日)、ブルックリン・ネッツはホームのバークレイズ・センターで行なわれたマイアミ・ヒート戦を97-106で落として6連敗に陥り、今季成績をイースタン・カンファレンス12位の14勝32敗(勝率30.4%)とした。
もっとも、この試合で最も注目を浴びたのはハーフタイムだった。NBAで歴代最長タイの22シーズンをプレーし、昨年10月にバスケットボール殿堂入り、11月2日にはトロント・ラプターズで球団史上初の永久欠番となったヴィンス・カーターが、ネッツでも背番号15が永久欠番になり、そのセレモニーが開催されたのだ。
ラプターズからトレードで加入した2004年12月から2009年6月までニュージャージー・ネッツに在籍したカーターは、レギュラーシーズン計374試合の出場で平均23.6点、5.8リバウンド、4.7アシスト、1.16スティールを記録。2006-07シーズンには1シーズンにおける球団最多記録(ABA時代は除く)の2070得点(平均25.2点)をマークした。
在籍中の通算8834得点とフィールドゴール成功3126本はフランチャイズ史上3位。3ポイント成功638本とフリースロー成功1944本は同4位、1762アシストは同7位、出場1万4157分は同8位と、複数の部門で球団トップ10入りしている。
「あの時は楽しかった」と、カーターはネッツ時代を振り返った。
「しかし仕事に集中する時間であることも理解していた。私たちは互いにプレーすることを楽しんでいた。その関係が我々のゲームを楽しくしてくれた。私は自分の仕事を果たし、いい時間を過ごすことができた」
エースとしてチームの牽引役を務めたラプターズ時代とは異なり、当時のネッツにはリーダーのジェイソン・キッドがいたことで、カーターの負担は多くの面で軽減された。
「新しい人生になった。トロント時代の役割は、ボールを寄こせ、そしたら点を取ってみせるという感じだった。しかしここへやってきたらある男(キッド)がいて、私のゲームを楽にしてくれたんだ」
カーターはネッツのトップスコアラーとなってキッド、リチャード・ジェファーソンらと主軸を担った。プレーオフには2005年から3年連続で出場し、06、07年は2年連続でカンファレンス・セミファイナル進出を果たした。
もっとも、この試合で最も注目を浴びたのはハーフタイムだった。NBAで歴代最長タイの22シーズンをプレーし、昨年10月にバスケットボール殿堂入り、11月2日にはトロント・ラプターズで球団史上初の永久欠番となったヴィンス・カーターが、ネッツでも背番号15が永久欠番になり、そのセレモニーが開催されたのだ。
ラプターズからトレードで加入した2004年12月から2009年6月までニュージャージー・ネッツに在籍したカーターは、レギュラーシーズン計374試合の出場で平均23.6点、5.8リバウンド、4.7アシスト、1.16スティールを記録。2006-07シーズンには1シーズンにおける球団最多記録(ABA時代は除く)の2070得点(平均25.2点)をマークした。
在籍中の通算8834得点とフィールドゴール成功3126本はフランチャイズ史上3位。3ポイント成功638本とフリースロー成功1944本は同4位、1762アシストは同7位、出場1万4157分は同8位と、複数の部門で球団トップ10入りしている。
「あの時は楽しかった」と、カーターはネッツ時代を振り返った。
「しかし仕事に集中する時間であることも理解していた。私たちは互いにプレーすることを楽しんでいた。その関係が我々のゲームを楽しくしてくれた。私は自分の仕事を果たし、いい時間を過ごすことができた」
エースとしてチームの牽引役を務めたラプターズ時代とは異なり、当時のネッツにはリーダーのジェイソン・キッドがいたことで、カーターの負担は多くの面で軽減された。
「新しい人生になった。トロント時代の役割は、ボールを寄こせ、そしたら点を取ってみせるという感じだった。しかしここへやってきたらある男(キッド)がいて、私のゲームを楽にしてくれたんだ」
カーターはネッツのトップスコアラーとなってキッド、リチャード・ジェファーソンらと主軸を担った。プレーオフには2005年から3年連続で出場し、06、07年は2年連続でカンファレンス・セミファイナル進出を果たした。