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「NBAの歴史で最高の選手になっていたら素晴らしかったことだろう。でも…」度重なる挫折を糧に欧州で輝く“元スター候補”の今<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2025.03.21

スペインの名門バルセロナで躍動する2014年ドラフト2位指名のパーカー。30歳の誕生日翌日の試合では34得点を叩き出した。(C)Getty Images

 全体1位指名のアンドリュー・ウィギンスを筆頭に、ジョエル・エンビードやジュリアス・ランドル、そして"現役最強"のニコラ・ヨキッチを輩出した2014年のNBAドラフト。

"史上屈指の豊作年"とも言われたこの世代で、とりわけ将来を嘱望されたのが、ミルウォーキー・バックスから全体2位指名を受けたジャバリ・パーカーだ。高校時代には"レブロン・ジェームズの再来"と呼ばれた逸材であり、1年目から即戦力として期待されたが、無冠に終わっただけでなく、現在はNBAに所属すらしていない。

 デビュー後間もない12月、さらに3年目と、2度も左ヒザの前十字靭帯断裂という大ケガを負った彼のキャリアは、思い描いていたものとは違う方向へと進むことになった。それでも現在は、スペインの強豪バルセロナの主軸として、充実した日々を送っている。

 19歳でプロデビューしたパーカーは、今年3月15日に30歳の誕生日を迎えた。そのタイミングで行なわれたバルセロナのクラブメディアとのロングインタビューでは、苦難を乗り越えたことで、いかに人生の本質に巡り会えたかを熱く語っている。
 
 NBAデビュー戦からスターターとして出場し、2戦目には早くも得点とリバウンドでダブルダブルと、好スタートを切ったパーカーだったが、12月のフェニックス・サンズ戦での接触で左ヒザの前十字靭帯断裂の大ケガを負い、その後のシーズン全休を余儀なくされた。

 ようやく復帰した2年目は76試合中72試で先発と、スターターに定着して平均14.1点を記録。失われた時間を取り戻したかに思われたが、3年目になんと同じ箇所を再び負傷。丸1年の療養期間を経て、4シーズン目の2月に復帰を果たすも、オフにバックスから放出。その後はジャーニーマンとなって5球団を渡り歩いたあと、2022年1月にボストン・セルティックスから解雇されたのを最後にNBAの舞台から姿を消した。

 そんな彼のキャリアは、「挫折」「悲劇」といったネガティブなワードとともに語られることが多いが、「自分は"今"を生きている。だからそうした意見に答えたり、考えたりするだけでもエネルギーや時間の無駄」と、本人は達観している。

 家族を荒れた地域から救い出せるほど経済面で豊かになった、そうした物質的なことだけでなく、「朝目覚めた時に、大好きな人たちに会えること、友人たちと話せること、この空間を共有できること、それこそが自分にとって重要なこと」だと彼は語っている。

 2度目のケガの療養中には、「朝になっても起きる意味があるのか?」と自問自答する日々を送っていたという苦労人の言葉だけに重みがある。
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「今の生活も、自分にとっては同じくらいに素晴らしい」