稀代のダンカーとして知られるドミニク・ウィルキンス(元アトランタ・ホークスほか)は、1980年代中盤から90年代前半のNBAを代表する名選手だった。通算2万6668得点は引退時点でリーグ史上7位、現在でも16位だ。そんな彼が現役時代に唯一、直接対決でナーバスになった選手を明かしている。
1982年のドラフト全体3位指名でNBA入りしたウィルキンスは、同年から94年にかけてホークスでプレー。晩年はロサンゼルス・クリッパーズ、ボストン・セルティックス、サンアントニオ・スパーズ、オーランド・マジック、海外リーグを渡り歩いた。
代名詞は“ヒューマン・ハイライト・フィルム”と呼ばれた強烈なダンクで、オールスターのスラムダンク・コンテストでは1984年の第1回大会から出場。以降、マイケル・ジョーダンの最大のライバルとして覇を競い、85、90年の大会では優勝を飾った。
1985-86シーズンには平均30.3点で得点王に輝き、87-88シーズンにも平均30.7点をあげるなど、キャリア平均24.8点をマークしたウィルキンス。ポッドキャスト『Nightcap』では、ドクターJ(ジュリアス・アービング)やモーリス・ルーカス、マジック・ジョンソン、ジョージ・ガービンらを見て多くを学んだと振り返った。
「みんな単にスーパースターなのではなく、ゲームにおけるレジェンドだった」
NBAで15年、選手としては17年間プレーしたが、「自分が望めばあと2~3年はプレーできたし、キャリアも20年に到達できただろう。でも、当時は若い選手たちが台頭してきて、変革の時だったんだ」と、身を引いた理由についても触れている。
そんなウィルキンスは「タフなマッチアップ」について尋ねられると、「対戦相手を恐れたことは一度もない」と断った上で、「ナーバスにさせられた男が1人いた」とある選手の名前を明かした。
「ニューヨーク(ニックス)のバーナード・キングだ。彼は軽々と40得点をあげ、(自分が)できることは何もなかった」
キングは1984-85シーズンに平均32.9点で得点王を獲得。ウィルキンスと同じスモールフォワードでオールスター出場4回、オールNBA1stチーム選出2回、2ndチームと3rdチーム選出各1回を経験し、2013年にはバスケットボール殿堂入りを果たしている。
「彼(キング)と対戦する前の晩は眠れなかった。彼が40点取るのはわかっているから、私も40点取って、『これでチャラにしよう』と言っていたよ」
タフなマッチアップ相手が“神様”ジョーダンではなかったことに対する驚きの声には、「マイケルと私は、NBAの歴史上、キャリア通算の対戦成績が平均30得点を超えている唯一の敵同士なんだ」と主張。恐れるのではなく、互いに高め合える存在だったとした。
「誰かに注目されるまで、(そんな数字を)考えたこともなかったよ。試合を振り返ってみると、彼が47得点で私が42得点、私が45得点で彼が40得点、あるいは彼が61得点で私が47得点みたいな感じ(※数字は実際の記録とは異なる)。そういう試合ばかりだった。マイケルは私のベストを引き出してくれたし、私も彼のベストを引き出せたと思う。私たちはお互いに競い合うのが大好きだった」
ウィルキンスにとってジョーダンは2期下で、キングは5期先輩。そんな背景も、キングを高く評する理由のひとつかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
早熟の天才ドミニク・ウィルキンス。ジョーダン、バードの好敵手だった名ダンカーの物語【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>
神に行く手を塞がれたウィルキンス。アトランタ最大のスターが“故郷”で叶えた夢【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>
1982年のドラフト全体3位指名でNBA入りしたウィルキンスは、同年から94年にかけてホークスでプレー。晩年はロサンゼルス・クリッパーズ、ボストン・セルティックス、サンアントニオ・スパーズ、オーランド・マジック、海外リーグを渡り歩いた。
代名詞は“ヒューマン・ハイライト・フィルム”と呼ばれた強烈なダンクで、オールスターのスラムダンク・コンテストでは1984年の第1回大会から出場。以降、マイケル・ジョーダンの最大のライバルとして覇を競い、85、90年の大会では優勝を飾った。
1985-86シーズンには平均30.3点で得点王に輝き、87-88シーズンにも平均30.7点をあげるなど、キャリア平均24.8点をマークしたウィルキンス。ポッドキャスト『Nightcap』では、ドクターJ(ジュリアス・アービング)やモーリス・ルーカス、マジック・ジョンソン、ジョージ・ガービンらを見て多くを学んだと振り返った。
「みんな単にスーパースターなのではなく、ゲームにおけるレジェンドだった」
NBAで15年、選手としては17年間プレーしたが、「自分が望めばあと2~3年はプレーできたし、キャリアも20年に到達できただろう。でも、当時は若い選手たちが台頭してきて、変革の時だったんだ」と、身を引いた理由についても触れている。
そんなウィルキンスは「タフなマッチアップ」について尋ねられると、「対戦相手を恐れたことは一度もない」と断った上で、「ナーバスにさせられた男が1人いた」とある選手の名前を明かした。
「ニューヨーク(ニックス)のバーナード・キングだ。彼は軽々と40得点をあげ、(自分が)できることは何もなかった」
キングは1984-85シーズンに平均32.9点で得点王を獲得。ウィルキンスと同じスモールフォワードでオールスター出場4回、オールNBA1stチーム選出2回、2ndチームと3rdチーム選出各1回を経験し、2013年にはバスケットボール殿堂入りを果たしている。
「彼(キング)と対戦する前の晩は眠れなかった。彼が40点取るのはわかっているから、私も40点取って、『これでチャラにしよう』と言っていたよ」
タフなマッチアップ相手が“神様”ジョーダンではなかったことに対する驚きの声には、「マイケルと私は、NBAの歴史上、キャリア通算の対戦成績が平均30得点を超えている唯一の敵同士なんだ」と主張。恐れるのではなく、互いに高め合える存在だったとした。
「誰かに注目されるまで、(そんな数字を)考えたこともなかったよ。試合を振り返ってみると、彼が47得点で私が42得点、私が45得点で彼が40得点、あるいは彼が61得点で私が47得点みたいな感じ(※数字は実際の記録とは異なる)。そういう試合ばかりだった。マイケルは私のベストを引き出してくれたし、私も彼のベストを引き出せたと思う。私たちはお互いに競い合うのが大好きだった」
ウィルキンスにとってジョーダンは2期下で、キングは5期先輩。そんな背景も、キングを高く評する理由のひとつかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
早熟の天才ドミニク・ウィルキンス。ジョーダン、バードの好敵手だった名ダンカーの物語【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>
神に行く手を塞がれたウィルキンス。アトランタ最大のスターが“故郷”で叶えた夢【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>