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NBA

NBA史に残る“名ダンカー”ウィルキンスが明かす、最も恐れた対戦相手。“神様”ジョーダン以上に「ナーバスにさせられた男」とは<DUNKSHOOT>

ダンクシュート編集部

2025.04.25

現在65歳となったウィルキンス。現役時代の「タフなマッチアップ相手」を語った。(C)Getty Images

現在65歳となったウィルキンス。現役時代の「タフなマッチアップ相手」を語った。(C)Getty Images

 稀代のダンカーとして知られるドミニク・ウィルキンス(元アトランタ・ホークスほか)は、1980年代中盤から90年代前半のNBAを代表する名選手だった。通算2万6668得点は引退時点でリーグ史上7位、現在でも16位だ。そんな彼が現役時代に唯一、直接対決でナーバスになった選手を明かしている。

 1982年のドラフト全体3位指名でNBA入りしたウィルキンスは、同年から94年にかけてホークスでプレー。晩年はロサンゼルス・クリッパーズ、ボストン・セルティックス、サンアントニオ・スパーズ、オーランド・マジック、海外リーグを渡り歩いた。

 代名詞は“ヒューマン・ハイライト・フィルム”と呼ばれた強烈なダンクで、オールスターのスラムダンク・コンテストでは1984年の第1回大会から出場。以降、マイケル・ジョーダンの最大のライバルとして覇を競い、85、90年の大会では優勝を飾った。

 1985-86シーズンには平均30.3点で得点王に輝き、87-88シーズンにも平均30.7点をあげるなど、キャリア平均24.8点をマークしたウィルキンス。ポッドキャスト『Nightcap』では、ドクターJ(ジュリアス・アービング)やモーリス・ルーカス、マジック・ジョンソン、ジョージ・ガービンらを見て多くを学んだと振り返った。

「みんな単にスーパースターなのではなく、ゲームにおけるレジェンドだった」

 NBAで15年、選手としては17年間プレーしたが、「自分が望めばあと2~3年はプレーできたし、キャリアも20年に到達できただろう。でも、当時は若い選手たちが台頭してきて、変革の時だったんだ」と、身を引いた理由についても触れている。
 
 そんなウィルキンスは「タフなマッチアップ」について尋ねられると、「対戦相手を恐れたことは一度もない」と断った上で、「ナーバスにさせられた男が1人いた」とある選手の名前を明かした。

「ニューヨーク(ニックス)のバーナード・キングだ。彼は軽々と40得点をあげ、(自分が)できることは何もなかった」

 キングは1984-85シーズンに平均32.9点で得点王を獲得。ウィルキンスと同じスモールフォワードでオールスター出場4回、オールNBA1stチーム選出2回、2ndチームと3rdチーム選出各1回を経験し、2013年にはバスケットボール殿堂入りを果たしている。

「彼(キング)と対戦する前の晩は眠れなかった。彼が40点取るのはわかっているから、私も40点取って、『これでチャラにしよう』と言っていたよ」

 タフなマッチアップ相手が“神様”ジョーダンではなかったことに対する驚きの声には、「マイケルと私は、NBAの歴史上、キャリア通算の対戦成績が平均30得点を超えている唯一の敵同士なんだ」と主張。恐れるのではなく、互いに高め合える存在だったとした。

「誰かに注目されるまで、(そんな数字を)考えたこともなかったよ。試合を振り返ってみると、彼が47得点で私が42得点、私が45得点で彼が40得点、あるいは彼が61得点で私が47得点みたいな感じ(※数字は実際の記録とは異なる)。そういう試合ばかりだった。マイケルは私のベストを引き出してくれたし、私も彼のベストを引き出せたと思う。私たちはお互いに競い合うのが大好きだった」

 ウィルキンスにとってジョーダンは2期下で、キングは5期先輩。そんな背景も、キングを高く評する理由のひとつかもしれない。

構成●ダンクシュート編集部

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