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NBA

神に行く手を塞がれたウィルキンス。アトランタ最大のスターが“故郷”で叶えた夢【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.07.22

ホークスを優勝に導くことは出来なかったが、96年に加入したギリシャのパナシナイコスではユーロリーグ優勝の原動力となり、ファイナルMVPに輝いた。(C)Getty Images

ホークスを優勝に導くことは出来なかったが、96年に加入したギリシャのパナシナイコスではユーロリーグ優勝の原動力となり、ファイナルMVPに輝いた。(C)Getty Images

■オールラウンダーに成長したウィルキンスだったが…

ウィルキンスは1986年から9年連続でオールスターに選ばれ、88年の大会では29得点をあげた。だが、この試合でMVPに選ばれたのは、40得点を稼いだマイケル・ジョーダンだった。ウィルキンスの選手生活を通じて、2年後輩のジョーダンは常に目の上の瘤のような存在だった。

 ダンクコンテストでは互角の勝負を演じても、実際の試合ではジョーダンが一枚上だった。ウィルキンスが得点王を逃した年は3回もあり、ドクターJの後継者の座も気づけばジョーダンが座っていた。

 86年、ウィルキンスがプレーオフでは球団11年ぶりの50点以上となる57得点を記録した時も、その数日後にジョーダンが63得点を記録する伝説的な活躍を見せ、話題もかき消されてしまった。

 ホークスも86年から4年連続で50勝以上するなど、ほぼ毎年プレーオフに進んだが、セルティックスやピストンズに阻まれカンファレンス準決勝より先には進めなかった。

「オールスターにも出て、得点王にもなり、ダンクコンテストでも優勝した。今欲しいのはチャンピオンリングだけだ。自分の得点よりもチームが勝つ方がずっと大事だ」
 
 ウィルキンスはこのように言い続けた。実際、年々チームメイトの生かし方も上達し、よりオールラウンドな選手となったが、それと反比例するように王座からは遠ざかるばかりだった。

 91-92シーズンにはアキレス腱断裂の重傷を負い、バルセロナ五輪代表のドリームチームからも洩れた(ただし94年世界選手権のドリームチーム2には選ばれている)。翌年は平均29.9点と復活を遂げたものの、93-94シーズン途中にロサンゼルス・クリッパーズへトレードされてしまう。

「自分の才能に敬意を払ってくれるチームならどこへでも行く」とウィルキンスは前向きに受け止めたが、ホークスファンの反応は正反対だった。「“ニーク”はこの街で最大のスターだった――ベースボール、フットボール、ホッケー、すべてのスポーツを含めてだ。これでホークスは死んだも同然だ」。ロカリーの談話が、すべてのアトランタ市民の気持ちを代弁していた。
 
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生まれ故郷のパリで悲願のチャンピオンに

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