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NBA

3ポイントの名手、デル・カリー――ステフ&セスへ受け継がれた名シューターの血筋【NBA名脇役列伝・前編】

出野哲也

2020.02.21

ジャズとキャブズからは1年で放出されるなど、キャリア序盤は不遇の時代を過ごした。(C)Getty Images

ジャズとキャブズからは1年で放出されるなど、キャリア序盤は不遇の時代を過ごした。(C)Getty Images

 通算2389点は学校記録で、その大半は3ポイントルールが導入される前にあげたもの。当時のヘッドコーチ、ジョージ・モアは「カリーはオープンであれば、どこからでもシュートを決められる力があった。もしあの時代に3ポイントルールがあったなら、と思うと震えが来るほどだ」と語っている。

 最終戦の試合前には、背番号30が同大のバスケットボール選手として初の永久欠番となっている。さらに大学では、彼の人生において最も重要な出会いもあった。練習後に水飲み場で顔を合わせたバレーボール部の美形セッターと交際するようになったのだ。その人物こそ、のちに彼の伴侶となるソーニャである。
 
 86年のドラフトでは、1巡目15位でユタ・ジャズに指名される。ゼネラルマネージャーのフランク・レイデンは、1巡目中盤での指名だった84年のジョン・ストックトンと85年のカール・マローンに続いて「彼のような実力者をこの順位で取れるとは思わなかった」と喜んだ。ニックスもデルに注目しており、指名直後にダレル・ウォーカー+30万ドルで取引を申し出たが、ジャズからの答えはノーだった。

 1年目から67試合に出場したが、平均4.9点にとどまる。先発シューティングガードだったスター選手のダレル・グリフィスの牙城を崩すには至らず、2年目の87年にはダリル・ドーキンスらとの交換でクリーブランド・キャバリアーズへ放出された。

 新天地では平均得点を10.0点にまでアップさせながらも、オフにはエクスパンション・ドラフトのプロテクトから洩れ、ホーネッツから1位指名を受ける。同球団のオーナー、ジョージ・シンは「ドラフトではデルとケリー・トリピューカがベストな選手だと思っていたが、まさか2人とも獲得できるとは思わなかった。これでいいチームが作れそうだ」と満足げに語った。(後編に続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2013年12月号掲載原稿に加筆・修正
 
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