そのピアースが34番を選んだのは誰かに憧れていたわけではなく、高校2年の時に彼に合うサイズのジャージーが34番しかなかったから。ピアースの元チームメイト、レイ・アレンも08年にセルティックスに移籍するまでは34番。こちらはバークレーのファンだった高校時代の恩師に敬意を表したものだ。バックスから移籍したシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)ではレジー・エバンスの背番号だったが、「僕にとって34は数字以上のもの」と、エバンスに食事をおごって番号を譲ってもらったエピソードもある。セルティックス時代は20番、ヒート移籍後は愛着のある34番に戻した。ピアースは18年に永久欠番となったが、アレンは1球団に長く在籍しなかったのが災いしてどのチームの欠番にもなっていない。
そのほかの欠番選手には、71年のドラフト1位指名で、クリーブランド・キャバリアーズの創成期に活躍したオースティン・カーと、ABA時代のインディアナ・ペイサーズで2度MVPに輝いたメル・ダニエルズがいる。また、レイカーズの34番はオニール以外にも、ミネアポリスを本拠地にしていた時代の主力選手、クライド・ロベレットの“名誉番号”として扱われている。
1980~90年代はバークレー以外にも34番を着用するフォワードが多かった。バークレーと名前のよく似たチャールズ・オークリーは、ポジションも同じパワーフォワードで、マイケル・ジョーダンと親友同士だった点まで共通している。シカゴ・ブルズから全盛期を過ごしたニューヨーク・ニックス、さらには晩年のトロント・ラプターズでも34番。現役最後のロケッツを除いて18年間にわたって同番号をつけ続けた。
テリー・カミングスは主にバックスで活躍したスコアラー。プロ入り最初の8年のうち7シーズンで平均20点以上をマークするなど、通算得点は史上53位にランクしている。ゼイビア・マクダニエル(元ソニックスほか)も同時代のオールスター選手で、マイク・ミッチェルもキャブズ、スパーズで平均20点以上を稼ぎ出す隠れた実力者だった。
90年代以降は、クリス・モリス、アイザイア・ライダー、コーリス・ウィリアムソン、そしてオロウォカンディと、入団時の期待に応えられなかった選手が少なくなかった。近年でもピアースとアレンを除けばデビン・ハリス、ショーン・リビングストン、ジャベール・マギー(ウィザーズとナゲッツ時代。現在はレイカーズで7番)が目立つ程度だったが、アデトクンボの出現で一気に華やかさを取り戻した。今後はヤニスに憧れて34番を背負う選手も出てくるだろう。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2013年8月号掲載原稿に加筆・修正。
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そのほかの欠番選手には、71年のドラフト1位指名で、クリーブランド・キャバリアーズの創成期に活躍したオースティン・カーと、ABA時代のインディアナ・ペイサーズで2度MVPに輝いたメル・ダニエルズがいる。また、レイカーズの34番はオニール以外にも、ミネアポリスを本拠地にしていた時代の主力選手、クライド・ロベレットの“名誉番号”として扱われている。
1980~90年代はバークレー以外にも34番を着用するフォワードが多かった。バークレーと名前のよく似たチャールズ・オークリーは、ポジションも同じパワーフォワードで、マイケル・ジョーダンと親友同士だった点まで共通している。シカゴ・ブルズから全盛期を過ごしたニューヨーク・ニックス、さらには晩年のトロント・ラプターズでも34番。現役最後のロケッツを除いて18年間にわたって同番号をつけ続けた。
テリー・カミングスは主にバックスで活躍したスコアラー。プロ入り最初の8年のうち7シーズンで平均20点以上をマークするなど、通算得点は史上53位にランクしている。ゼイビア・マクダニエル(元ソニックスほか)も同時代のオールスター選手で、マイク・ミッチェルもキャブズ、スパーズで平均20点以上を稼ぎ出す隠れた実力者だった。
90年代以降は、クリス・モリス、アイザイア・ライダー、コーリス・ウィリアムソン、そしてオロウォカンディと、入団時の期待に応えられなかった選手が少なくなかった。近年でもピアースとアレンを除けばデビン・ハリス、ショーン・リビングストン、ジャベール・マギー(ウィザーズとナゲッツ時代。現在はレイカーズで7番)が目立つ程度だったが、アデトクンボの出現で一気に華やかさを取り戻した。今後はヤニスに憧れて34番を背負う選手も出てくるだろう。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2013年8月号掲載原稿に加筆・修正。
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