78年はジョニー・ムーアらが中心となり、NITで優勝を果たす。通算714アシストの学校記録をマークしたムーアは、サンアントニオ・スパーズに入団して2年目の82年に、平均9.6本でアシスト王に輝いた。さらに83年から3シーズン連続で平均アシストでトップ5入り、83、85年には平均スティールで上位三傑に。背番号00はスパーズの永久欠番になっている。
80年代ではラサール・トンプソンが“タンク(戦車)”のニックネーム通りの体格とプレースタイルで存在感を発揮。82年に同大出身者で初のドラフト1巡目指名(5位)を受け、キングスに入団した。派手さはなかったものの、3年目には得点とリバウンドで平均ダブルダブル。チームメイトに人気のある選手としても知られていた。
90年代以降のテキサス大はトーナメントの常連となる。88年にヘッドコーチ(HC)に就任したトーマス・ペンダースがランニングゲームを推し進め、90年は準々決勝まで進出。しかし98年にペンダースは選手の学業成績を不法に漏らして退任し、リック・バーンズが新指揮官となった。
2003年はTJ・フォードが中心となってトーナメントの第1シードを獲得。56年ぶりにファイナル4まで進んだが、惜しくも準決勝でカーメロ・アンソニー(ポートランド・トレイルブレザーズ)を擁するシラキュース大に敗れた。
フォードは小柄ながらも抜群のスピードを生かし、同年にウッデン賞とネイスミス賞をダブル受賞。NBAでもトロント・ラプターズやインディアナ・ペイサーズで先発PGを務め、04年には背番号11がテキサス大で最初の永久欠番に制定された。
05-06シーズンは3年生のPJ・タッカー(ヒューストン・ロケッツ)、2年生のラマーカス・オルドリッジとダニエル・ギブソンなど実力者を揃え、開幕前のAPランキングでは2位と前評判は非常に高かった。ところがトーナメントでは準々決勝で敗退。主力の3人は揃ってNBAへと進んだ。
なかでもオルドリッジは、大学史上最上位のドラフト2位でシカゴ・ブルズに指名され、すぐにブレイザーズへトレード。12年から5年連続でオールスター選出を果たすなど、リーグを代表するパワーフォワードに成長を遂げた。
クリーブランド・キャバリアーズに入団したギブソンも、得意のシュート力でチームに貢献。キャリアの3ポイント成功率はレギュラーシーズン、プレーオフともに40.7%と高精度を誇った。
80年代ではラサール・トンプソンが“タンク(戦車)”のニックネーム通りの体格とプレースタイルで存在感を発揮。82年に同大出身者で初のドラフト1巡目指名(5位)を受け、キングスに入団した。派手さはなかったものの、3年目には得点とリバウンドで平均ダブルダブル。チームメイトに人気のある選手としても知られていた。
90年代以降のテキサス大はトーナメントの常連となる。88年にヘッドコーチ(HC)に就任したトーマス・ペンダースがランニングゲームを推し進め、90年は準々決勝まで進出。しかし98年にペンダースは選手の学業成績を不法に漏らして退任し、リック・バーンズが新指揮官となった。
2003年はTJ・フォードが中心となってトーナメントの第1シードを獲得。56年ぶりにファイナル4まで進んだが、惜しくも準決勝でカーメロ・アンソニー(ポートランド・トレイルブレザーズ)を擁するシラキュース大に敗れた。
フォードは小柄ながらも抜群のスピードを生かし、同年にウッデン賞とネイスミス賞をダブル受賞。NBAでもトロント・ラプターズやインディアナ・ペイサーズで先発PGを務め、04年には背番号11がテキサス大で最初の永久欠番に制定された。
05-06シーズンは3年生のPJ・タッカー(ヒューストン・ロケッツ)、2年生のラマーカス・オルドリッジとダニエル・ギブソンなど実力者を揃え、開幕前のAPランキングでは2位と前評判は非常に高かった。ところがトーナメントでは準々決勝で敗退。主力の3人は揃ってNBAへと進んだ。
なかでもオルドリッジは、大学史上最上位のドラフト2位でシカゴ・ブルズに指名され、すぐにブレイザーズへトレード。12年から5年連続でオールスター選出を果たすなど、リーグを代表するパワーフォワードに成長を遂げた。
クリーブランド・キャバリアーズに入団したギブソンも、得意のシュート力でチームに貢献。キャリアの3ポイント成功率はレギュラーシーズン、プレーオフともに40.7%と高精度を誇った。