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NBA

シューズの収入ランキングは現役選手を圧倒。『エア・ジョーダン』はいかにしてスニーカー界のトップに君臨し続けているのか

北舘洋一郎

2020.03.13

シューズやショーツなど、自身のアイテムに強いこだわりを持っていたジョーダン。プレー以外の面でものちのバスケ界に大きな影響を与えた。(C)Getty Images

シューズやショーツなど、自身のアイテムに強いこだわりを持っていたジョーダン。プレー以外の面でものちのバスケ界に大きな影響を与えた。(C)Getty Images

 ジョーダンが一度気に入ったらずっと使いたいというものに、ノースカロライナ大時代からのプラクティスメッシュショーツがある。試合の時にユニフォームの下に必ず履いていた愛用品だ。本人いわく願掛けのような意味もあり、試合に臨むルーティーンのひとつだったと言う。「大学時代からスカイブルーのショーツは僕とともにコートに立ってきた証でもある」のだと。

「ナイキと初めて契約した1984年から自分が身につけるもの全ての企画に携わってきた。ナイキとは家族のようなものでジョーダンブランドはその延長線上にある。僕は何に関しても、他の誰かにコントロールされるよりも自分自身で考えてやっていきたいと思って自分のブランドを始めることにした。若い頃はバスケットボールをすることで手一杯だったが、今ではいろんなことを考えたり、やったりする環境が整った。もともと性格上、何もしないで黙っていることができない性質(タチ)だからね。このまま黙って歳を取ってオールドタイマー扱いされるのはごめんだ」とジョーダン。

 ジョーダンシリーズ発売当初は思うようにシューズの売上は上がらず、試行錯誤したこともあった。

「2シーズン目に大きなケガをして長い間試合を離れたこともあって、シューズの売上が伸びない時代があった。当時はまだナイキよりもアディダスやコンバースの方が人気だった時代だ。そんな時にスパイク・リーと共演したコマーシャルは楽しかった。彼は完璧主義者で、どんなコマーシャルでもほとんどNGを出さない僕に何度もやり直しをさせた。チャールズ(・バークレー)の時もそうだったらしくて、チャールズはかなり怒ってたけどね」
 
 当時、新進気鋭の映画監督だったスパイク・リーとのCMはジョーダンがアメリカのカルチャーと融合し、今のファッションアイコンとしてブランディングを確立する原点ともなった。最近になってジョーダンは、「今のスニーカーシーンはコラボレーションが人気だけど、もう30年以上も前に僕はスパイク・リーとコラボレーションという手法でブランドの認知を高める手法をやっていたよ」と語っている。

「エア・ジョーダン6を履いてプレーオフを戦っていた時、足の親指をケガした僕はつま先がシューズの先に当たって痛いから縦にシューズのつま先をカッターで切ったんだ。その時はスチールカメラマンからテレビまでみんなこぞってシューズを撮っていた。あとで、売れなかった時代にやっとけばよかったじゃないかとフィル・ナイト(ナイキ創業者)にからかわれたよ」とジョーダンはユーモアたっぷりに当時のエピソードを話してくれた。

 スポーツシューズの進化はめまぐるしい。その中にあってエア・ジョーダンの存在は大きく、もしエア・ジョーダンの成功がなければこれほどまでにスニーカーが市民権を得ることはなかったかもしれない。ナイキと契約した時には自分のブランドがこんなに成長するとは考えもつかなかったというが、コート外においても多大な影響を与えたからこそ、ジョーダンは“神”として伝説になったのだろう。

文●北舘洋一郎

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