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バスケW杯

八村塁擁する”日本版ドリームチーム”は世界に通用するのか?史上最強アカツキファイブ、W杯への挑戦

出野哲也

2019.08.30

2006年の世界選手権ではダーク・ノビツキー(左)率いるドイツとの対戦をはじめ、5試合を戦うも1勝しかあげられず1次ラウンドで敗退。写真:田中研治(ダンクシュート編集部)

2006年の世界選手権ではダーク・ノビツキー(左)率いるドイツとの対戦をはじめ、5試合を戦うも1勝しかあげられず1次ラウンドで敗退。写真:田中研治(ダンクシュート編集部)

 まさかこのような日が来るとは、昔からの日本のバスケットボールファンは思いもしなかったのではなかったか。正直に言って、数年前までの日本は世界から見れば相手にしてもらえない弱小国だった。アメリカやヨーロッパの国々とは比較にさえならず、そこまでレベルの高くないアジアでも苦戦を強いられ続けた。

 過去、オリンピックのバスケットボールでアジアの国がメダルを獲得したことは一度もなく、正式種目となった1936年のベルリン五輪でフィリピンが5位に入ったのが最高位。世界選手権(現ワールドカップ)でも、同じくフィリピンが54年大会で3位に入ったのが唯一のメダルで、近年ではアジア最強を誇る中国でさえ、メダル圏内に入れないほど他の地域とは実力差がある。

 そんなバスケ後進地域にあってもなお、日本のオリンピック出場は76年が最後、最高成績は36年ベルリン大会の9位。世界選手権も似たようなもので、前回出場した06年は来年の東京五輪と同じく開催国枠での参加で、パナマに勝っただけの1勝4敗で大会を終えている。アジアカップでは2度の優勝経験があるとはいえ半世紀近く前の話で、97年以降はメダル圏内に食い込めていなかった。
 体格と身体能力では、日本人は欧米やアフリカの選手に到底敵わない。またフィリピンのようにバスケットボールが国民的レベルで浸透しているわけでもないとあっては、苦戦するのは当然だった。日本人にとってNBAは現実的な目標となり得ない世界で、田臥の挑戦も4試合で終わった。

 ドラフトされたのも、岡山恭崇が81年にウォリアーズから8巡目(全体171位)で指名されたのが過去唯一の事例。順位を見ても冷やかしとまではいかないが、戦力として真剣に指名されたわけではないことはわかる。身長230㎝(234㎝ともされる)の巨人だった岡山は、NBA入りしていれば史上最長身選手になっていたが、実際にはあまりにも動きがスローすぎて通用はしなかったと考えられる。
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