「15歳のレブロンは素晴らしかったよ。でも、誰もその年でMJに張り合うなんてできなかった」
明確な言及こそしていないが、“誰も張り合えなかった”という言葉から察するに、2001-02シーズンからウィザーズでのカムバックが決まっていた38歳のジョーダンが、レブロンのプレーを上回っていたようだ。しかし、ジョーダンはワールドピースとマッチアップした際に肋骨を折ってしまい、長期機脱を余儀なくされてしまったという。
「もし俺が彼の肋骨を折らなければ、MJは(2001-02シーズンに)平均35点をあげていただろう。彼は3カ月欠場しなければならなかった。でも、最終的に平均25点(実際には22.9点)を記録している。38歳でね」
一方で、『Players Tribune』では「フルスピードでやってきたから、俺は腕で止めにいった。彼はいっそう勢いを増して、さらに料理をし始めた。当時はだいたい225ポンド(102kg)くらいだったけど、とにかくタフだったのを覚えている」と振り返っていたレブロンについても、改めてこのように高く評価している。
「レブロンは間違いなく素晴らしかった。彼は大きくて、強くて、誰も彼を守れなかった。上手くプレーしていたよ。疑いの余地はない」
レブロンはジョーダンが引退した2003-04シーズンからNBA入りしたため、プロの舞台で直接対決は実現しなかったが、19年前の夏から2人の“比較の宿命”は始まっていたと言えるかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
【名場面PHOTO】ジョーダン最後のオールスター、コビー81得点、カーターの豪快ダンク……1999-2019 NBA名場面集
明確な言及こそしていないが、“誰も張り合えなかった”という言葉から察するに、2001-02シーズンからウィザーズでのカムバックが決まっていた38歳のジョーダンが、レブロンのプレーを上回っていたようだ。しかし、ジョーダンはワールドピースとマッチアップした際に肋骨を折ってしまい、長期機脱を余儀なくされてしまったという。
「もし俺が彼の肋骨を折らなければ、MJは(2001-02シーズンに)平均35点をあげていただろう。彼は3カ月欠場しなければならなかった。でも、最終的に平均25点(実際には22.9点)を記録している。38歳でね」
一方で、『Players Tribune』では「フルスピードでやってきたから、俺は腕で止めにいった。彼はいっそう勢いを増して、さらに料理をし始めた。当時はだいたい225ポンド(102kg)くらいだったけど、とにかくタフだったのを覚えている」と振り返っていたレブロンについても、改めてこのように高く評価している。
「レブロンは間違いなく素晴らしかった。彼は大きくて、強くて、誰も彼を守れなかった。上手くプレーしていたよ。疑いの余地はない」
レブロンはジョーダンが引退した2003-04シーズンからNBA入りしたため、プロの舞台で直接対決は実現しなかったが、19年前の夏から2人の“比較の宿命”は始まっていたと言えるかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
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